ジビエ・シカ肉料理をクラフトコーラで堪能 [グルメ・料理]
巷ではコロナの感染者数が激増中で第3波到来と叫ばれており世の中はまたも日
増しに不安・ストレス・憂鬱さが増大してきています。
そんなときに不謹慎と非難を受けかねない記事のアップとなりますがご容赦くだ
さい。
先日仲間から「シカ肉が大量に手に入ったものの自分の家族だけではとても消費
できないので手伝ってくれないか」とホームパーティへのお誘いを受けたので
ジビエ愛好家のワタシとしてはこれを断る理由はないとの思いに至り参加してき
ました。
仲間である発起人自宅でのホームパーティで参加者は数名です。
北海道で仕留めたシカが食肉用として仲間の親戚宅へ送られてきたものの、その
親戚がジビエが苦手なゆえ廃棄しようとしたため、それはもったいない、と仲間
宅が譲り受けたといういきさつだそうですがご覧の通り食欲をそそる色つやです。
さっそく発起人奥様の自家製たれをつけて食してみます。
ほほう、馬刺しにかなり似た味覚でかたさも程よくて歯ざわりも快適。
ワタシは馬刺しが大好物なのでとても口に合います。
きっちりと血抜きがされているのでまったく臭味は感じられずむしろ遠くで甘み
すら感じてしまうほどですね。
こちらはステーキ、さっぱりとして上品で健康的な味わいです。
脂身が命のガテン系の方だったら物足りないかも、ですね。
これはシカ肉をよく煮込んでシチュー仕立てにしたものにサワークリームをかけて
食しましたが、これも旨いの一言。
洋食(というか食事全般)に疎いワタシとしては表現が乏しいのですがさしずめボル
シチをほうふつとさせるような感じとでも言いましょうか・・
副菜の方にも食が進みます。
ほくほくのかぼちゃの煮つけ。日本人の胃袋が欲している味わい。
その他お料理も盛り沢山でしたが食べて飲むのに夢中なのであとは割愛。
さてこの日のホームパーティにワタシが持ち寄った飲み物です。
右側の小びんは拙ブログでも何度か紹介していますが最近俄然注目を浴びている
クラフトコーラ<伊良コーラ>シロップ。
伊良コーラのシロップは別に炭酸水を用意して1:3の割合で混ぜて飲みます。
さっぱりとしたシカ肉に対してスッキリ味の伊良コーラ炭酸割の相性は抜群でした。
特にシチューとの相性がよかったかな。
参加者全員に嗜んでもらいましたがとても好評でしたね。
シロップは250mlと少量なのであっという間に消費されてしまいました。
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それから真ん中の中びんは伊良コーラの商品として新たに登場の<伊良コーラ酎>
こちらは世のアルコール嗜好者向けに本格焼酎のイモ焼酎とかけ合わせて開発さ
れた一品なのでしょうがクセのあるもの同士のコラボゆえお互いの味が主張し合
って正直かみ合っていない味わいとなっている感じでした。
皆さんの舌も同様の評価なのか、このアルコールの減りは鈍かった。
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そして一番左の背の高い五合瓶はライチ味のイモ焼酎<だいやめ>
近所のスーパーに陳列されていたをキャッチフレーズに惹かれて購入し飲んでみた
ところ確かにライチの味がするのです、熟成技術のなせる業か基本的に独特のクセ
を売りとするイモ焼酎でこれほどまでにフルーティなのは驚異的です。
実は先月、別の仲間たちとの別荘でのバーベキューパーティに参加したときに持ち
よったところ大好評だったので今回も用意した次第ですが案の定評判よく売り切れ
ました。
ということでシカ肉料理にクラフトコーラ/伊良コーラ(とライチ味イモ焼酎)の
組み合わせは大成功という感想で締めさせていただきます。
はやくコロナよ終息してくれい!
◇ ◇ ◇ ◇
さて本題とは無関係のオマケ記事です。
先週新発売となった、アポロチョコのアイスクリーム。
職場の方がいち早く情報を察知してみんなにふるまってくれたものです。
アポロチョコは昭和を代表するお菓子だと思ってちょっと調べてみたら1969年
新発売とのことなのでもう50年以上も愛されているのですね。
アイスクリームのカップ入りなので形は円すい形でなく円柱形ですが、構造は
オリジナル菓子と同様上側がいちご味で底の方がチョコ味となっていました。
懐かしさと興味深さとが相まって夢中で食しましたがなかなかの味でした。
わがミュージックライフ最愛の演奏曲との出会いからの日曜大工 [音楽]
すっかりご無沙汰をしてしまいました。
実はとある記事の執筆に伴い写真よりも自分で作成する資料の方が読んでいただ
ける皆さんに解りやすいだろうと思いITリテラシーが低いにも拘わらずエクセル
データを作成してみたのです。
一応自分のイメージ通りに仕上がったのですが、記事に貼り付けて閲覧してみると
どうも表示がずれてしまう、なので元データの方をずらして調整を図ったのですが
ワタシの技術では限界でしたし、その作業で疲れ果て記事アップのモチベーション
が奈落の底に落下してしまいました。
予定した記事は諦めて心機一転、先週のシルバーウイークでの行動を綴りたいと思い
ますのでお付き合いいただけましたら幸いです。
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そもそもは仲間がSNS上にリンクでアップしたライブ動画とそのコメントがきっ
かけとなりました。
1978年3月16日、中野サンプラザホールでの<クルセイダース>の演奏で
曲名は<チェインリアクション>
SNSへアップした本人はこのライブを中野サンプラザでリアルで聴いたという
ことなので垂涎ものです。
というのもワタシはまったく偶然にもFM番組でかかったこのライブ音源をカセ
ットテープにエアチェックしておりました。
その録音作業もこの曲を明確に目的としていたわけではなく<クルセイダース>
というバンドに興味を持ち始めたころで手始めに聴いてみたというレベルです。
それまで自分の音楽嗜好はリズム&ブルースやソウルミュージックが主流でした
がこのライブ演奏を聴いたことがきっかけでジャズ・フュージョン(当時はクロス
オーバーと言われていました)への造詣を深めていったのです。
しかしユーチューブに収められている演奏はワタシがエアチェックした演奏と
比較すると一部に過ぎなかったのです。
それはイントロの6分近くにも及ぶギターソロが割愛されているので。
そこで無性にカセットに録音されている演奏を聴きたくなったのですが、カセット
テープをいろんな場所に保管して(というか詰め込んで)いる状態なので探すのには
かなり時間を要することになる・・
でもそのときが4連休の初日でした。よし時間はまだまだたくさんある、と覚悟を
決めてまずすべてのテープをひとところに集めて捜索を開始しました。
これは程なく探し出せたのです。
なのですかさず13分にも及ぶライブ録音をカセットデッキで久しぶりに聴いてみ
て一人悦に入ったのでした。
(単身時代にはときどき聴いていたので7~8年ぶりくらいか・・・)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さてこのいきさつを披露したからには自分の音楽ジャンル愛聴の変遷を語りたいと
ころですがそれはまた別の機会に譲る事として、ここから先は手元に溢れんばかり
に散乱したカセットテープをどのように収束させたかについて綴ってゆきます。
おおよそのカセットテープはCDラックに収めていたのですが、それは聴いて愉しむ、
というレベルではなく単なる保管、という状態でした。
かつてはカセットテープ専用ラックに収めていたのですが、ベニヤで作られた安物
だったため何回かの引っ越し作業の末破損しお釈迦になったので東京に戻ってきた
ときにむりくりCDラックに放り込んで所せましと重ねた状態で保管したのでした。
その後近所のホームセンターでカセットテープ用のラックを随分と探したのですが
どこにも陳列されていません。(売れそうもないので当然でしょうねw)
そこで無い頭をひねらせた結果CDラックの各段に仕切り板をつけて1段から2段に
増やすことにより今までの2倍の本数のテープを収めることができることで整理を
進めようと考えだしていざ材料探しに走りました。
(2段にするとしても2段とも縦だと寸法不足なので1段は横にして保管する)
この写真が示す通り空間は10mmほどの余裕しか有していないのでせいぜい5mm
程度の薄い板を調達する必要があることを認識したのですが、近所のホームセンタ
ーだと厚手の板しか陳列されていません。
そこでネット検索したら中野に売場面積がかなり大きめな『島忠』を発見したので
早速チャリを飛ばして訪ねてみました。
(横の道は車でときどき通過しておりましたが気づきませんでしたw)
狙い通りアイテムがとても充実しておりましてちょうど目指すサイズも入手
できました。
自宅で宝の持ち腐れと化していたDIYツール。
『島忠』で調達した板材からラックのサイズを測って鋸で切り落とし。
釘を打ち付ける箇所を鉛筆でマーキングした後に錐(キリ)で穴あけ。
これが少しでもずれるとカセットテープが収まらなくなるので最も神経を使って
慎重に作業。
まずは一段分の作業終了。
同じ作業を5回繰り返して仕上がりました。
散乱していたカセットテープを音楽ジャンル別に整理して収めました。
ということで連休中ちょこちょこと用事をこなしながら合間の時間を使って
どうにか日曜大工の作業を終わらせることが出来ました。
最近はもっぱらユーチューブのお世話になっていましたが、これからはこれ
らのテープをときどき聴いてオールディーズを懐かしみたいと思います。
(最近ブームと言われている昭和歌謡もありますよ~)
【深大寺】マロちゃんの眠る墓と鬼太郎のお父さん [地域]
先週の4連休はコロナ禍を回避するため基本的には自宅に潜んでいましたが、1日だけ
最近仏像巡りを精力的にこなされているRchooseさんの深大寺探訪に英ちゃんとともに
お供をして参りました。
SSブログで深大寺を散策された他の方の記事を見かけるたびに、ワタシもいつかそばを
食べに訪れてみたいなぁと思っていたのですが、それよりも自分には大切なミッション
が課せらていたことを突如思い出したのです。
20年以上も前のこと、娘が小学校高学年を迎えていた冬、クリスマスにサンタさん
から念願のジャンガリアンハムスターが贈られてきました。
それまでの娘は親が何度注意しても自分の机の片づけがまったくできなかった。
弟が2人いて世間体にはしっかりお姉ちゃんと讃えられているにも関わらずです。
しかしそんな娘が我が家にやってきた小さな家族のお世話係として住まいの飼育かごの
水かえや掃除を毎日マメにやり出すと自然に自分の机の整理整頓も行き届くようになっ
たのです。母性愛が本人の成長を促してくれたのでしょう。
その愛くるしくてまるまるとした小さな家族に、娘が当時熱心に視聴していたテレビア
ニメ『おじゃる丸』の一人称「まろ」から「マロちゃん」と名付け溺愛し続けました。
可愛がりすぎて餌を頻繁に与えたものだから名は体をあらわすではないけれどゴムまり
のようにまん丸に育ってゆきましたが大事に大事に育てたおかげか平均的なハムスター
の寿命よりはかなり長くわれわれ家族の一員として暮らすことができました。
が衰弱が著しく進んだとある冬の朝、青息吐息のマロちゃんが娘は気がかりで寝ていら
れず早起きして見守る中最期は娘の掌でやすらかに天へと召されたのです。
娘の落胆ぶりが忍びなかったので、当時住んでいた青森の火葬場に連絡して、火葬にし
てもらいました。
チリと見まがうほどの分量のお骨でしたが骨壺の中に納めてしばらく自宅で一緒に過ご
したあと、夏を迎えた頃東京に引っ越したので、深大寺の動物共同墓地へ永代供養とし
たのでした。
それから不精をしていて一度も供養に訪れていなかったので、今回約20年間の不義理
を詫びるべく深大寺へと向かったのでした。
と前置きが長くなりましてすみません、この日は朝10時に吉祥寺駅改札口に集合という
事でしたがみなさん紳士淑女で9時40分には揃ったのでバスで深大寺に向けていざ出発。
深大寺のバス停で降りるとすかさず大黒様と恵比寿様が迎えてくれます。
山門の屋根の部分は見事に緑色の草が生い茂っておりました。
(鎌倉のお寺でも見たような気が・・)
本堂を参詣後、ワタシにとって本日のメインイベント、動物霊園に向かいました。
前の画像は動物慰霊塔を撮ったものですが(いつもながら)ワタシの撮影技術では
ショボいので動物霊園のHPのものをどうぞ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さてミッションを果たしたのちに向かった先は<鬼太郎茶屋>
鬼太郎とはもちろんマンガ家水木しげる先生の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のこと
です。
ではなぜ深大寺で鬼太郎茶屋かと言うと、深大寺=調布=水木先生の自宅兼事務所
という関係です。
茶屋の2階が展示室になっており¥100の入館料を払って見学しました。
これは自分が気になって撮ったものです.
『鬼太郎の父』と『目玉おやじ』が紹介されていることが引っかかったので、あと
で改めて目玉おやじの生い立ちを調べてみて合点が行きました。
すなわち正真正銘の鬼太郎の父親は鬼太郎が生まれる直前に病に罹ってミイラ化し
た末に死に絶えるも、やはり同じころ死亡した母親から自らの生命力で生まれてき
た鬼太郎の後を追うべく、ミイラの死骸の目に意思が宿りそして視神経が手足とな
って誕生したものである、ということです。
伝説の月刊漫画誌『ガロ』にも登場していたのですね。
調べたら貸本時代から引き継いだ『鬼太郎夜話』なる作品がこの『ガロ』に掲載され
ていたということだそうです。
さてさてここまで見学してもまだお昼前でした。
混雑する前に早めにお昼を摂りましょうということで
ワタシが注文したのは『よもぎそば+深大寺ビール』
しかしこのときRchooseさんの注文にはつくづく感心してしまいましたよ。
ワタシや英ちゃんがこういう場所では当然のごとく話題性満載の地ビールを
オーダーするいっぽうでぶれることなく『キリンラガー』を注文する生粋の
ビール党だと感じまして恐れ入りやの・・いやここは深大寺でした。
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このあと3年前に国宝に指定された釈迦如来像を拝んで、それから神大植物園を
許しを~)
ということでワタシ的にはかなりいろいろ見て回った感が満載だったにも関わら
ず吉祥寺駅まで戻ってもまだ14時です。
この後のことをお二方は触れられていないようですのでワタシめが代表して報告
します。
向かった先は中央線で一駅東京寄りとなる<西荻窪駅>です。
<ボードゲームカフェ>です。
(なおこの写真は今回の前に訪れたときに撮影したものです)
知人のご子息が昨秋にオープンされたお店です。
とても若い店長さんのお店ゆえデジタルのゲームを楽しむ所かと思いきやさに
あらずでまったくもってアナログのオンパレード。
こちらは『八十日間世界一周』というすごろくのようなゲーム。
ルールは単純ですが制約が細かいので店員さんに解説してもらいながらでないと
ちょっと厳しいかも、ですがその分奥が深くて嵌りそうなゲームです。
(これも前回訪問時のもの、なぜなら今回はゲームに夢中になりすぎて撮影0でした
から)
写真なしですが『カタカナーシ』という単純なゲームが一押しです。
クイズ王の英ちゃんが不思議なほどまったく冴えずRchooseさんの独り勝ちでした!
さてここまで記してきてナンですが、行動したのは7月24日で本日が8月2日。
この10日間でコロナの猛威が(自分の)想定をはるかに上回るレベルで進んできて
おりますのでこの先はふたたび巣篭もりやむなしの状況です。
また幸いにも自身の健康状態は今のところ微熱も味覚障害も発生しておりません
のでひとえに幸運でした。
本記事は決してみなさんを煽るつもりのものではなく、大変身勝手な意見で心苦
しい限りですが、自身の日記としての位置づけでもあるということでご了承いた
だけましたらと存じます。
<トキワ荘>復刻!! [地域]
<トキワ荘>が帰ってきました!
★「トキワ荘」とはかつて豊島区に所在し手塚治虫氏や石森章太郎氏などのちに錚々
たる活躍をなしてマンガの神様と称えられた人物たちが駆け出しの頃を過ごした伝説
の建物です。(拙ブログ2015年執筆『トキワ荘』をご参照ください)
そのトキワ荘が7月7日<トキワ荘マンガミュージアム>として<南長崎花咲公園>
改め<トキワ荘公園>内にオープンしました。
ワタシの住まいから徒歩20分程度なので先週末と本日にわたり訪れてみたのです。
ミュージアム内見学は完全予約制なのですが先週はぶっつけ本番で訪れたため、
中に入ることができず外見だけ下見をしました。
そして本日は事前予約に則り満を持してじっくりと館内を鑑賞して来ましたよ。
冒頭の画像のように当時アパートの入り口には立派な看板が案内役を果たしていた
のですね。
自分の子ども時分であった昭和30~に40年代ではこの様な建物が至るところ
に立ち並んでいたのでとても懐かしいです。(建物裏側・・先週撮影)
建物表側・・本日撮影
平成生まれの方に質問です、右側の構築物はなんでしょうかね。
当時は壁面がこの様に薄ピンク色でした。
絶滅危惧種ですが現在でも辛うじて透明のガラス壁面のものはたまに街で
見かけますね。
正解は公衆電話ボックスです。
少しだけモダンなデザインの井戸ポンプ。
さてここからはいよいよ建物の内部です。
1階と2階があり2階は撮影OKでした。
まずは『共同炊事場』です、現代風になぞらえればシェアハウスで見られる
『共同キッチン』ですかね。
トキワ荘の棟上げとほぼ同時に入居した手塚先生は1953年初頭から54年秋
まで居住し入れ替わりで藤子不二雄先生(2名)たちが入居されていた部屋です。
鈴木伸一、よこたとくお先生らの入居部屋。火鉢が当時の生活感を物語って
います。
こちらも当時の仕事兼生活がリアルに再現、中華<松葉>(後に登場します)で
出前を頼んだと思われるラーメン丼の食べ残しも見受けられます。
以上2階部分の展示スペースでした。
1階は資料スペースと各先生方の作品(漫画単行本など)ですが残念ながら撮影
禁止です。
中華料理<松葉>
ミュージアムからトキワ荘通りを東に300mほど進むと藤子不二雄作品に
登場する有名なキャラクター<小池さん>が食べているラーメンのネタ元
の店舗です。
本日こんなニュースが掲載されていました。
ちなみに手前の街路灯に掲げられているマンガミュージアム開館の宣伝は
3月22日となっていますね、コロナの影響で3カ月半遅れです。
その<松葉>の60年ほど前の姿です。
こちらの<トキワ荘通り お休み処>2階の展示室に上の写真(60年前の
<松葉>)が飾られていました。
この施設は<松葉>の向かい側にあり、主にトキワ荘関連グッズの販売を
担っております。
(拙ブログ2015年執筆『トキワ荘』ご参照ください)
<トキワ荘マンガステーション>
<お休み処>の3軒手前(マンガミュージアム寄り)にこの7月7日に同時
オープンしたトキワ荘漫画家たちの作品を無料で読むことのできる施設
です。
ワタシは寺田ヒロオの『暗闇五段』を見つけてむさぼるように読み出し
たのですが、ほどなくコロナのための換気入替で退出・・
次回時間にゆとりを持って再チャレンジすることとします。
ということで<トキワ荘マンガミュージアム>を中心に各施設が点在した
形となっていますが、基本どの施設も無料で利用できる割にはかなり充実
した内容です。
運営主体の豊島区さん、相当頑張ったと思います、素晴らしい。
東京都内にご在住の方でしたらこんどの連休にちょうど手ごろなお散歩
スポットとしておススメです、ただしミュージアム内は完全予約なので
ご注意を・・その他マンガステーションやお休み処、それに<松葉>は
もちろん予約は不要です。(最寄り駅は地下鉄大江戸線<落合南長崎駅>
徒歩8分程度)
追記
<トキワ荘マンガミュージアム>から徒歩2~3分のところに伝説のプラモ
ショップ<イトウ模型>があります。
このお店は開店している時間が週に1日だけでしかも2時間のみというナゾ
の営業形態が話題を呼んで2か月くらい前のNHK『所さん!大変ですよ』
(毎週木曜19:30~放映)という番組に登場しました。
店主がなんと97歳のおばあちゃんです。
ワタシも子どもの頃兄について行って訪れたことがありましたがよもやまだ
店舗が存続していたとはそのテレビ番組で観ていて知ることとなり腰を抜かす
ほど驚いたのでした。
(ただし直近では「しばらく休みます」と貼り紙があるので気がかりですが・・)
さらに蛇足でもうひとつ地元ネタ
この近辺にコラムニストの泉麻人氏の実家があります。
<地上の星>伝説のNHK紅白LIVE映像が再現~あのハプニングが再び… [音楽]
NHKの音楽番組『うたコン』は毎週複数のアーチストたちが出演し、ライブで
歌唱を披露してくれていましたが、コロナ禍の影響でライブの形式は残している
ものの視聴者からのリクエストなども踏まえて過去の名シーンを放映してくれる
方式に差し替えられているので逆にこんなときだからこそ思いも寄らぬ懐かしの
名場面に遭遇する機会が増えています。
先日の蔵出しはなんとなんと中島みゆきさんが紅白に出場して唄われた<地上の星>
でした。
2002年12月31日に放映されたこのシーンを皆さんはご覧になられていましたか?
ワタシはこの場面をくっきりと憶えているのです。
というのもNHKの気合の入り方が尋常でなく
このとき初出場となる中島みゆきさんが歌われる場所は、紅白の会場たるNHK
ホールではなく、富山・黒部ダムのトンネル内というとてつもなく常識を逸脱
した企画だったのです。
<地上の星>と言えば名番組として今でも語り継がれている『プロジェクトX~
挑戦者たち~』(注、以下「プロジェクトX」に略します)の主題歌です。
そのご縁によりそれまで紅白歌合戦に出場が叶わなかった最後の超大物エンター
ティナーのひとりと数えられていた中島みゆきさんの出場が決まったのでしょう。
いっぽう『プロジェクトX』ですが、日本の高度経済成長期を支えた商品などの
知られざるエピソードをドラマチックにドキュメントタッチで取材した人気番組
でしたが、調べたら今からもう15年も前に番組は終了しているのですね。
(蛇足となりますが、やらせ問題が発覚して打ち切りとなってしまいました。
この後継番組が『プロフェッショナル 仕事の流儀』です)
その『プロジェクトX』が取り上げた内容で特に評判の高かったのが「富山・黒部
の黒四ダム建設」であったため初出場の中島みゆきさん自らの提案でこの黒部ダム
から生中継で歌うことになったそうです。
しかしワタシがなぜこのときのライブをくっきりと憶えているかの答えは度肝を抜か
れた黒部ダムのトンネル内での熱唱も確かにインパクトはありましたが、それ以上に
中島みゆきさんが一部歌詞を間違えたため字幕の歌詞と違って放映されたというハプ
ニングが起こったことなのです。
話を『うたコン』に戻します。この日うたコンを視聴していて紅白での<地上の星>
を流します、とMCの谷原章介さんが案内されたとき即座にあのハプニングを再現する
のか・・中島みゆきさんの承諾は取れたのか、と下世話にも心配しながら俄然野次馬
根性丸出しとなって見入りました。もちろんアイフォンで録画もしましたよ。
そして問題の場面に差し掛かった時・・・ひょっとして映像を飛ばすかな、とも考え
たのですがそのまま放映。ところがそのシーンではこちらが考えもしなかったテク
ニックでこのハプニングを切り抜けていました。
それは中島みゆきさんが間違えて歌った歌詞に字幕を合わせたのです。
♪名だたるものを追って輝くものを追って人は氷ばかり掴む を一番と同様に
♪(地上)にある星を誰も覚えていない人は空ばかり見てる と歌われたのでその
歌詞に差し替わっていました、お見事パチパチ。
いっぽう中島みゆきさんの姿に着目すると、アタマ出しが飛んで「地上」が無言になった
部分が少しだけ不自然に聞こえる以外顔色一つ変えずにこやかに熱唱する姿は百戦錬磨
のプロの風格が窺えます。
私がしばしば聴きに行くライブバーでボーカリストがユーミンのメジャーソングの歌詞
を一部間違えて歌われると(ユーミンへの敬意を表しているのとご本人の誠実な性格
にも由来しているのでしょうが)「間違えました~」とわざわざ伝えてくれますw
(申し出なければ誰も分からないのにです)
ライブにハプニングはつきものです。
そんなハプニングのまま『うたコン』では紹介してくれることを少しだけ期待しましたが
中島みゆきさん(かその取り巻き)がさすがにそれには首を縦に振らなかったのでしょう
かねえ。
でも当の中島みゆきさんはこの12年後に紅白出場へカムバックするに際し「また何かしで
かさないように頑張って歌わせて頂きます」と謙虚にコメントしているのですね。
ますます応援したくなります。ファイト♪~闘う君の唄を~
【すみだリバーウォーク】開通~東京ミズマチ・オープン [地域]
<すみだリバーウォーク>が先週の6月18日に開通しました。
これは浅草ととうきょうスカイツリーを結ぶ商業ゾーン<東京ミズマチ>の開業に
伴って東武スカイツリーライン=伊勢崎線の浅草駅に隣接する隅田川をわたる鉄橋
に遊歩道を設けたものです。
ワタシが勤務する職場がスカイツリーのほぼふもと界隈にあるため、昼休みに
ウォーキングを兼ねて探検してきました。
このショットはスカイツリー側を背にした撮影であり隅田川の向こう側が浅草駅
になります。
ちょうど特急列車が鉄橋を通過するタイミングを狙って撮ったつもりですが車両
の映り具合が地味で残念なショットとなってしまいましたw
こちらのショットは遊歩道を渡り終えて浅草駅側から撮影したものです。
(スカイツリーが斜めに映ってたり、「すみだ川」の表示が一部しか映り
込んでなかったりと雑ですいません。昼休みの限られた中での撮影ゆえ
時間がなかったといういいわけです)
しかし自称「乗り鉄」ですが、鉄橋を渡る鉄道を至近距離から歩いて見学
できるという体験はなかなかできないものなので「下(お)り鉄」(勝手に
命名)と言うのもかなり味がありハマってしまいそうです。
浅草駅側です、普通列車を意識しての撮影。
自転車を引いてわたる姿も見られました。
正面に見える水門は「源森川水門」です。
「いちょう」のデザインが見えますがこれ、なんだか分かりますか・・
東京都以外にお住まいだともしかしてご存じない方がいらっしゃるかも
しれませんが、これは東京都のシンボルマークですね。
水門の管理が東京都であることをうたっているのでしょう。
右に見えるは北十間(源森)川、左側が<東京ミズマチ>の店舗群です。
本来はゴールデンウィーク前に全店開業の予定だったのですがコロナの
影響でいまだオープンできていない店舗もいくつか見受けられます。
ここは東武鉄道高架下に連なる東京ミズマチの北側の区道が整備されたもの
ですが左の立派な建物看板にご注目ください。
「鳴門部屋」との記載、そうです大相撲元大関琴欧州が親方を務めている
「鳴門部屋」がこちらにあります。
窓の外から土俵が見渡せるので朝げいこを窓越しに見学することも可能だと
思います。
ということでコロナ騒動がやってこなければ今頃国内はもとより外国人観光客
で相当な賑わいを見せていたことと思われます。
しかしこれからコロナ対策を積み上げて、インバウンドも復活してくれば二大
観光スポットを結ぶ新たな観光名所として発展してゆくことが期待されます。
ワタシはたまたま職場が接近しているご縁に過ぎないのですが、大いなる発展を
願ってやみません。
〈中野サイダー〉と〈童謡『たきび』のモデルになった「垣根」〉中野区です [地域]
ブログ更新がすっかり滞ってしまいました。
決して新型コロナウイルスに感染して入院していたわけではありません。
また勤務先は昭和型スタイルなため相も変わらず出勤しておりますので、時間管理
はさほど変わっておりません。
極力ステイホームを遵守しようとするあまり新規ブログネタが枯渇しているという
事情も一因ではありますが、沈滞ムードの中モチベーションが低下していることが
本音と言えます。
そんな状況ではありますが本日マイチャリで高円寺を訪れたので報告しようと思い
ます。
訪ねた先は拙ブログでもたびたび登場のyummy(ヤミー)
コロナ影響下で4月より営業を自粛されていたのですが4月末ころからお昼のテイク
アウトを始められたことを知り、本日お昼ごはん用の弁当を求めるも電車を避けて
運動不足の解消にもつながるチャリを飛ばした次第であります。
ちょうど正午に到着しましたが店内にはまだお客さんがおりませんでした。
(直後に立て続けてやってきましたね)
受注生産なので作り立てが食べられてとてもおいしいのです。
(実はゴールデンウイーク中にも一度買い求めてやって参りました)
本日購入したのは、新メニューの『豚しゃぶ丼』とyummy最強人気
メニューの『サラダごはん』
なお写真はyummyのSNSから拝借してしまいました。
(ワタシの撮影技術では評判を落とすのでw)
料理の感想は「おいしい!」のひとこと、グダグダ説明は割愛。
ああ、でもこのおいしい料理をごきげんなライブを聴きながら食べら
れる日が一日でもはやく戻ってくることを切に望んでおります。
そのためにはひとりひとりが三密いや、二密も一密も極力避けて、
コロナ禍が収束に向かってもらわねば、ですね。
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さてさてチャリの帰路、早稲田通りを走っていて以前からとても
気になっていた酒店で途中下車します。
貼り紙の商品名に引き寄せられたのです。
『中野生れ中野育ち〔中野サイダー〕120円』
これです。
<中野区新井・・>で製造しているから『中野サイダー』なのですね。
それにしても原材料名に「塩」が登場している事にびっくりです。
因みに大手Mツ矢サイダーの原材料を調べても「塩」は見当たりません。
飲んでみた感想ですが、塩が含まれているだけに飲み慣れたサイダーの
ような甘みが感じられずどちらかと言うと大人の落ち着いた味わい、と
でも言いましょうか、これは自分にとってクセになりそうな飲料です。
しかしラベルを注意深く観察するとどこにも『中野サイダー』とは表示
されていないではないですか!
"ラムネ屋さんの職人が作った昭和の味です<ラムネ屋さんのサイダー>"
との記載になっていますよ。
前記事で(世界初の飲料)クラフトコーラ『伊良コーラ』を取り上げました
が、このラムネ屋さんのサイダーも中途半端なネーミングよりもいっその
ことクラフトサイダーと銘打って秋葉原に対抗するオタクのまちとして
知名度上昇中の<中野>を取り入れた『中野サイダー』として大々的に
PRしたほうが人気が出るのではないかと無責任に提言するのでした苦笑
さてお目当ての『中野サイダー』を買い終えて店を出ようとしたの
ですが気になるクラフトビールの文字が飛び込んできたため、追加
注文してしまいました。
『オーガニックストロベリービール』
飲んでみたら、商品名の通りかなりイチゴの味覚が強くあまりビール
の苦味は感じられませんでした。それでもアルコール度数は5.1%と
あるから標準的な濃度です。
355mlですが断酒を続けている身だったのですぐに酔いが廻りましたね。
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さて話は前後しますが、行きの道すがらでは以前偶然見つけた、癒され
スポットに立ち寄りました。(言い訳ですw、三つの密にはひとつも該当
せずでしたよ)
ご覧ください、昭和(以前)の伝統工芸作品かつ実用構築物〔垣根〕
♬かきねのかきねのまがりかど~♬♬
童謡『たきび』は子どものころ誰もが歌ったことと思いますが
その歌詞発祥の地とされている〔垣根〕なのだそうです。
記念館などではなく今でも居住に使われているようです。
場所は中野というよりは西武新宿線/新井薬師前駅からほど近いところ
ですがご覧のように樹木で覆われており、マイナスイオンをたっぷりと
享受できそうなので昨今のコロナ騒動ですさんだ心身をいやしてくれる
のに手ごろなスポットかもしれません。
落ち葉焚きをやるような季節にまた訪れてみたいです。
(久しぶりの執筆だったため文章がぎこちない点ご容赦ください)
【クラフトコーラ】伊良(いよし)コーラ総本店が新宿/下落合にオープン [グルメ・料理]
およそ1年近く前になりますが新ジャンルの飲料【クラフトコーラ】の記事を
このときに紹介した店舗は青山のファーマーズマーケットにキッチンカーによる
出店販売形式によるものでしたが、このたび2月28日固定店舗がオープンの運び
となったのです。
しかもその場所はわが街<新宿区/下落合>です。
前記事でも触れてますが、手作りで行われる作業はオーナーである[コーラ小林
さん]の祖父がかつて漢方薬品の工房として作業されていた場所である下落合駅の
裏手(住所は高田馬場)にある建物で行われているのです。
そこが店舗販売ができるように改装されて開業にこぎつけられたものです。
シックというかかなり地味なつくり。
だいたい下落合駅が天下の大都心新宿駅から僅か3Kmほどの場所に位置するに
もかかわらず駅前商店は数件のみと言う牧歌的な環境なわけですが、さらにその
裏手に当たりしかも神田川沿いでまわりに店舗は見当たらない場所なのでこれぐ
らいのデザインで調和されているのかも知れません。
ネットの情報などから華麗さを想定して初めて訪れる方など店の前を素通りして
しまうのではないか、とひとごとながら心配になりましたw
さて中を見渡すと、工房はガラス張りで製造工程が見学できるようになって
います。
作業をされているのはコーラ小林さんご本人でしょうか・・
商品の受け渡しカウンター。
大流行中のタピオカやさんともちょっと違う雰囲気。
壁面には調合に使うスパイスがずらりと並んでいてさながら理科の実験
室を連想してしまいます。
販売員のおねえさんが慎重に調合。
コーラにミルクを注いでくれています。
メニューは<クラフトコーラ>と<ミルクコーラ>の2種類がありました
ので両方オーダーしてみました。
≪クラフトコーラ≫
底にシロップが溜まっているのでよくかき混ぜてから飲むのがポイント。
≪ミルクコーラ≫
初チャレンジです。自分の味覚にとって吉か凶か・・
はたしてこの冒険は『大吉』でした。
元来ワタシは大の牛乳好きなので、甘くて濃厚なミルクテイストと、ジンジャー
やナツメグなどのスパイシーさがケンカすることなく見事に調和されて自分に
とっては今まで経験したことの無い好みの味覚でした。
以上の2アイテムにプラスして持ち帰り用にシロップが1200円/100ml
で販売されてたので購入。
後日炭酸を自分で調達し、これにレモンスライスを加えて飲んでみることに
しました。
そうそう、以前sakamonoさんの記事で、ジンジャーエールはもっとも辛い
とされるウイルキンソンと銘柄を指定されていたことを思い出して炭酸もウイ
ルキンソンと銘柄指定で購入。
どうせなら、ウイルキンソンのジンジャーエールで割ってみたらどうなる
だろうと思いつき、思いついたらどうしても試してみたくなる性分なので
<成城石井>へ出かけてゲットしました。
ということで両方飲み比べてみた結果・・
やはり炭酸割りの方が美味でした。
ジンジャー割りは両方の味が主張してどっちつかずの味覚。
それからもうひとつ
店舗で飲んだものを真似て牛乳で割ってみたところ・・・
これは新発見、かなりいけます。
店舗で飲んだクオリティには届かぬものの、自分の嗜好にマッチした新たな
清涼飲料水として楽しみが一つ増えた感じです。
ただし、小市民にとってはそうそう頻繁に手が出せるお値段ではないのが
玉に瑕ですねえ。
すべて手作りで行っているので仕方がないのでしょうが、クオリティを維持され
つつ大量生産の術をはやく見い出して価格がせめて現在の半分くらいまで抑えら
れれば爆発的にヒットする予感がします。
そしてはやくその日がやってくることを切に願います。
★シロップ+炭酸、ジンジャーエール、牛乳で作った飲料それぞれの画像も撮り
ましたがとてもアップするような出来映えではないため割愛させて戴きました。
ご了承ください。
★2020年3月18日20時 追記
読売新聞夕刊3面記事コラム欄《しあわせ小箱》3月18日(月)〜「神様の贈り物」と題して3月20日現在第3話まで連載されていますのでぜひご参照ください。
~僕は透明の玉座には座らない~車椅子の弾き語り<カトキチLIVE> [音楽]
3年、いや4年前だったか
ひょんなきっかけで知ることとなったブルースシンガー兼アーチストのマチ
ケンさんこと町田謙介さん率いる凸凹トリオ月1回のライブへ地元高田馬場
ライブハウスに通い始めてからしばらく経ったある日のこと。
さほど広くないライブバー、客席テーブルは2卓。
そのうちの1卓は自分の知り合いたちが数名で押し寄せるのでキープした
のだけど、そのときお店のオーナー/キャサリンママからもう1卓はこの
あとお客さんがくるから残しておいてね、と明るく注意を受けた。
そしてほどなくやってきたのは車椅子に載って現れたショートヘアで一見
ちょっとコワモテの人物だった。
その人物こそ後に知ることとなる車椅子の舞踏家カトキチさんだったのだ。
ただカトキチさんとはその後何回かライブで顔を合わせたが特にそれ以上の
関係でもなかった。
あるときのライブ、カトキチさんが帰られる際キャサリンママの号令で手を
貸したことがあった。
ここのライブバーはB1にあるのだがエレベーターがないので昇降は階段。
なので車椅子でお帰りになるカトキチさんをみんなでサポートしたのだ。
それまでは無関心だったけどこのとき一瞬だけ障がい者のハンデについて憂え
たものだ。
しかし気が付くとこの凸凹トリオのライブは月イチから年イチに頻度が落ちて
しまったのでカトキチさんと巡り合うこともなくなっていたのだが、そんな
ある日マチケンさんから実に興味深い報せを受けたのだ。
歌も演奏もトーシローだったカトキチさんがマチケンさんプロデュースのもと
2年間の特訓を重ねてこのたびCDの発売とそれを記念したライブを行うとの
こと。
車椅子での日常生活というハンデを抱えながらボーカルのみならずギターの
演奏までなさるというのだ。しかもわずか2年の歳月で。
大変失礼ながら階段の昇降でさえ人の手を借りねばならない方がどのように
してギターを奏でるのか、若かりしころたかだかFコードの押さえ方で挫折
した自分にとってはマジシャンのパフォーマンスを見るような面持ちでその日
を待った。
そして迎えた2月15日午後8時、会場の三鷹<バイユーゲート> に出かけて
ゆく。
前座にマチケンさんやカトキチさんCDのバックアーチストたちが演奏した。
いつも明るくウィットに富んだMCで人を笑わせるマチケンさんがいつもにも増し
て笑顔に溢れたMCとご機嫌な演奏を披露してくれた。
休憩をはさんでいよいよカトキチさんの出番。
はじめてのソロライブ、緊張に包まれたMCから1曲目に突入。
どんな演奏を繰り広げるのだろうと期待に胸を膨らませて見つめていたらなんと
ギターを下に置いて弾き始めた。
知恵と工夫、それに努力を重ねれば不可能なことも可能にしてしまうものなのだ。
不自由なからだでないにも拘わらずFコードごときで挫折した自分が情けない。
それから演奏ばかりでなくボーカルにも注目。
1曲目はさすがの緊張からかぎこちなかったが、2曲目からはリラックスされて
きたのがこちらの耳を通しても明らかに感じられ、とてもファンキーでソウル
フルな唄声が爆発してこっちの魂もゆさぶられる。
それにカトキチさん自らが書き下ろした詞の内容が秀逸だ!
♬僕は透明の玉座には座らない♬
僕の手のひらには 車輪をつかむあとがある
前に進むための 固く強いあとなんだ
僕の心には 殻に閉じこもってたあとがある
前に進められない 弱くつらいあとなんだ
何もできやしないと
裸の王様みたいに鎮座してた
でもできる、できないとかなんかじゃない
やりたいか、どうかさ
僕は透明の玉座には もう二度と座らない
黄金に輝く夕日に向かって進んでゆく
続く・・
本人の境遇を素直に詞におろした内容にはハンマーで後頭部をガーンと打ち
付けられたがごとき衝撃が走った。
この日披露されたのはCD化された5曲。
でもその中で上掲の『僕は透明の玉座・・』ですら比較にならないほどの強烈な
インパクトを受けたのが『身体障害者用トイレブルース』の歌詞。
これこそ実体験がなければまず思い浮かばないであろう内容であり、かつ放送
禁止に触れそうな箇所も登場する。
ダウンタウンブギウギバンド不朽の名曲ブルース『港のヨーコヨコハマヨコ
スカ』を彷彿とさせるようなセリフがかった展開。
カトキチさんの迫力満点のボーカルが実にマッチしている。
滑舌がよくて表現力に長けたカトキチさんの歌声に惹き込まれ、意図せずとも
自分の頭の中でくっきりと歌詞のひとつひとつが上映されて行ったのだ。
あまりの衝撃に1回聴いたら絶対に忘れられない曲だ。
あっという間の5曲だった。
最後に全面的プロデュースを買って出られたマチケンさんがCD制作中のエビ
デンスとして何十枚というクロッキーを描かれて当日会場で貼りだし、
来場者に無償提供されたのでお言葉に甘えて1枚戴いて帰った。
さすが美大出身の経歴を持つ描いて書ける(ジャンクジャングルキッズなる単行本
を出版している)シンガーである。
次回の公演がとても待ち遠しくなった。
【いわき・内郷】常磐炭礦専用鉄道廃線遺構めぐり [旅行]
昨秋のことなのでもう5か月も前になりますが、元職場の入社同期会というイベ
ントに参加しまして、福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズ(旧、常磐ハワ
イアンセンター)に宿泊してまいりました。
一泊2日のいわゆる飲み会&ハワイアンダンス見物で、翌日はゴルフ組か観光
組にバラけたのですが、ワタシはそのどちらにも属さず単独行動を試みました。
「いわき」と言えばソネブロ・オフ会仲間の「きよたん」さんのふるさと、なの
できよたんさんにおすすめ先をおたずねしたのです。
するとワタシの琴線に触れる<廃線・トンネル・赤レンガ>を兼ね備えたスポット
をご教示いただきました。
〔常磐炭礦専用鉄道入山線沿線〕
きよたんさんから送ってもらった資料によると<白水町入山>に『赤レンガの
トンネル』が現存するそうです。
ハワイアンズから向かうには電車やバスでは不可能ですがタクシーなら10分~
15分ほどの位置とのことなのでタクシーを呼んでもらいました。
やってきた運転手は地元のベテランさん、なのでさっそく行先を告げたら不思議
な顔をされましたが土地勘を持っておられるので自信に満ちて向かっていただけ
ました。
ワタシも資料とにらめっこしながら注意深く車窓を観察しておりましたが、どうも
目指す先が見当たらない。
一本道上なので見逃すはずがない、と思いつつも運転手殿もどうやら行きすぎた
ようだ、と告げられてきたので下ろしてもらい来た道を徒歩で戻って探すことと
しました。
人のよさげないなかのおじちゃん然とした運転手殿はお客を目的地に運んでやれ
なかった後味の悪さゆえ申し訳なさそうにされていたので却ってこちらが恐縮して
しまいました。
この日は初秋とは言え真夏に近い暑さだったので5分も歩けば汗がしたたり落ち
てきたのですがちょうどそれくらいが経過したとき、先ほどのタクシーがまた戻っ
てきて「お客さん、お客さんの目指すスポットを見つけました!そこまでご案内
しますからどうぞお乗りください」と言ってドアを開けてくれるではないですか!!
いやはやなんとも親切な運転手さんに巡りあえて幸せでした。
なるほど、これではたとえ徒歩でも通り過ぎてしまうくらい地味な存在です。
運転手さんよくぞ発見してくれました、ありがとうございます。
雑草をかき分けて入口まで進むと特に立入り禁止の表示が無かったので
中に進入してみました。出口の明かりも比較的近くに見えたのでそのまま
歩き進みます。
150mくらいでしょうか。出口に出てきました。反対側からも撮ってみました。
ちょっと残念だったのは赤レンガの部分が薄汚れた白色に変色していたので
自称赤レンガフェチとしてはあまり萌えられなかったことです。
次の目指す先は〔みろく沢炭鉱資料館〕ですが、その途中に廃墟と化した建物
群が・・明らかに炭鉱住宅ですね。
さらに進むと、小さな鳥居がありその奥の社を見守る怖そうな狛犬(おおかみ
みたいです)に出会いました。
廃線跡の道路からかなり坂道を登ったドン突きに〔みろく沢炭鉱資料館〕が
現れました。
入場無料で手軽ですがお客はワタシひとりのみ。
1966年開場をうたったポスター、ということは54年以上も前なのですね。
その割にはあまり朽ちた感じがしませんでした。
炭鉱夫がまとったはんてん(?)廃線駅の駅名プレート(?)それにお釜(?)
『デンワ』は卓上型ではないことから察すると戦前のものか?
その他鉱内作業用グッズが多々。
鉱内から石炭を積み出すトロッコ列車。レールと一緒に保存。
〔炭鉱資料館〕を後にして先に進むとこのように炭坑跡が見受けられます。
福島県唯一の国宝〔白水阿弥陀堂〕です。なんでも東北に3つしか存在しない
うちのひとつだそうです。
さすがにここは観光バスが乗りつけてきて観光客も大勢訪れていました。
(お客の切れ目を狙って苦労して撮影したものです苦笑)
シンプルな佇まいで屋根の角度が美しいのはもちろん国宝ものですが、この日は
見事なまでの快晴で青空とのコントラストもとても鮮やかでした。
以上で目指したスポットをひととおり踏破してJR内郷駅に着きました。
このままハワイアンズに戻り帰りのバスに乗るにはまだ時間がそれなりに余って
いたのでもうひとつのスポット〔好間炭礦専用鉄道沿線〕の赤レンガトンネルと
赤レンガ橋台を目指すこととしました。
先ほどの入山線沿線の赤レンガ発見も苦労したものの偶然タクシーの運転手
さんに見つけてもらいラッキーでしたが、こちらは単独でチャレンジしている
のでさらに難局です、たどり着けなかったら諦めるつもりで向かいます。
と、30分ほど歩いてそろそろこの辺ではないか、と勘を働かせながら進むと
不自然に盛り土した上を通る細い道を発見。これは廃線跡に間違いないと決め
つけそこを曲がり歩き進むこととします。
すると舗装道が切れて竹藪が茂った先を進んで行った結果目指すスポットに遭遇。
よくぞ出会えてくれた、と小さな感動が走りました。
壁面の赤レンガは先ほどの入山トンネルよりもかなり迫力があり赤レンガフェチ
としては大喜びです。
残念ながら入口に柵が張られているのでコンプライアンスを遵守して戻る
こととします。
もうひとつの目指すスポット〔赤レンガ橋台〕は赤レンガトンネルから程なく
戻った先で発見しました。(往路では気が付かなかったです)
小川をはさんで両側に赤レンガの壁、こちらはトンネルの内壁のように白く
汚れておらず美しく感じます。赤レンガ萌え萌え~~
橋台の先はこのように明らかな廃線跡、往路でこの道を発見していれば
たやすかったのですね。
往路では斜めに見えている舗装道を左から右へとそのまま通り過ぎたのでした。
注意深く観察していればこの未舗装の空間はいかにも廃線跡です。
ということで宝探しのような旅を十分満喫して終えることができました。
きよたんさん、とても素敵なスポットをご紹介くださいましてまことに
ありがとうございました。
(またアップがこんなにも遅くなりましたことお詫び申し上げます)