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立佞武多(たちねぷた) [旅行]
8月を迎えました!
8月と言えば夏祭り、特に東北地方は各地で全国的にも名の通った祭りのオンパレードです。
中でも青森県では毎年8月1日から開催される弘前ねぷたまつりを皮切りに青森ねぶた祭りや
五所川原の立佞武多(たちねぷた)と各地で非常に熱を帯びた祭りが繰り広げられます。
私は今から25年前、弘前に3年ほど住んでいたので『ねぷたまつり』に愛着を感じています
が、当時五所川原で立佞武多の運行が80年ぶりに復活したと話題になっていたので足を延ば
して勇壮壮大な立佞武多を観に行き実際その巨大さに圧倒された思い出がありました。
そんな五所川原立佞武多は毎年8月4日から開催されます。
この時期になると高さ23mにも及ぶ立佞武多が街中を運行する勇壮壮大な姿をまたリアルで
観たいなあという思いがふつふつと湧いてきますが、完全リタイアして時間に融通が効くよ
うになるまでもう少し楽しみをとっておこうかと思いを馳せます。
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が、実はこの春のことですが保管されている立佞武多に会ってきました。
五所川原駅からほど近い場所に『立佞武多の館』が建てられていてその中に常設されている
のです。
鬼の形相で刀を振りかざしているこの立佞武多は『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』
こちらはみやびな『かぐや』。
ねぶ(ぷ)た3兄弟(左から立佞武多・青森ねぶた・弘前ねぷた)
ということで23mもの巨大な作品に圧倒されつつも非常に楽しみながら見学させていただき
ましたが、さらにラッキーだったことにたまたま訪れた時間帯で地元ねぷた保存会の方々の
お囃子ライブに巡り合えたのです。
しかも見学者の中からリクエストに応じて太鼓まで叩かせてもらったのでとても得難い体験
を積むことが出来ました。
~ドンドドンドンドン~太鼓のリズムが今でも心の中でこだましています・・・
◇ ◇ ◇ ◇
♪ 【立佞武多】 詞曲:吉幾三
ヤテマレーヤテマレー
ヤテマレーヤテマレー
遠く聞こえて津軽の古里(くに)に
笛と太鼓とたちねぷた
街を見下ろし歴史が通る
津軽平野は五所川原
ヤテマレーヤテマレー
ヤテマレーヤテマレーヤテマレー
勝った戦のたちねぷた
夏を彩る風も踊れよ
たちねぷた(ハッ)たちねぷた(ハッ) ♪
(8月2日 23時55分 追記)
見学が終わったのが14時近く、昼食を摂っていなかったため激しい空腹に襲われたので<立
佞武多の館>を退出して食堂を探そうとしました。
と、思いきやこの建物の最上階がレストランであることに気づいたのでまた戻ってエレベー
ターに乗りそちらへ向ったのです。
するととても魅力的なメニューに遭遇。<十三湖のしじみラーメン>
<十三湖>は<立佞武多の館>から距離にして2~30Kmくらいでしょうか・・
青森県の日本海に隣接したエリアに存在する汽水湖です。
シジミの名産地でここのシジミはアサリと見まがうほど粒が大きくて、中身も当然プルン
プルンで味もしっかりしています。
そんなシジミがたっぷりと入ったさっぱりうす味のラーメンは五臓六腑に沁み渡りました。
というのも前夜は青森が誇る銘酒『田酒』をしこたま呑んで内臓がお疲れ気味でしたので
よりいっそう美味しく感じられたものと思われます。
ちなみに青森を初めて訪れた仲間も同じラーメンをオーダーしたのですが「十三湖」を
「十三個」と勘違いしてシジミが十三個入ったラーメンだと思ったとのこと。
いやあなるほど、シジミの名産地であることはおろか、十三湖すらご存じない方からす
れば当然の勘違いだ、と私にとってはいたく納得してしまいました・・・
【新刊本】アンダーグラウンドビートルズ~ビートルズエピソードの集大成/藤本国彦+本橋信弘 著 [本]
私にとって始まりから終わりまで衝撃の連続で綴られた内容であった。
著者のひとり本橋信弘氏は高田馬場界隈の裏事情を著した単行本『高田馬場アンダーグラウ
ンド』で出会って以来目が離せない、とても観察眼と記憶力に秀でた作家であると注目して
いた。
その氏がビートルズマニアの第一人者として名高い藤本国彦氏とタッグを組んで二人の対談
をベースに出版された本書はビートルズのメンバーやそれを取り巻くスタッフの方々の数限
りない驚くべきエピソードがぎっしりと詰まっていた。
エピソードオタクの私にとってはおよそクリスチャンが聖書を崇めるがごとく本書に没頭し
てしまった。
冒頭からいきなり強烈なインパクトが披露される。
〔オカッパくずし〕・・1963年11月20日毎日新聞が夕刊で初めてビートルズの記事を掲載し
たときロンドン駐在の小西記者がタイトルとして使った単語だ。
本書の中で当時の記事がコピーとなって掲載されている。
マッシュルームカットが広まる前のことだったのだろう。
初めて聞いた名称だがなんか言い得て妙なネーミングだ。
少し話はそれるが、60年以上も前のこの記事の存在を当時小学校1年生だった本橋氏はリア
ルタイムで出会いしかも今の今までほぼ正確に記憶していたという本題から派生した本橋氏
自身のエピソードに私は驚愕した。
小学1年で新聞の活字を読むというのは盛っているのではないかと突っ込みたくなるところ
だが、氏によれば『少年サンデー』などの漫画雑誌には漢字にルビが振ってありそれを毎週
欠かさずに読んでいたので色んな漢字を自然と覚え、そして家で取っていた毎日新聞に目を
通すようになったそうである。
私自身が幼稚園時代からやはり『少年サンデー』のおそ松くんやオバケのQ太郎の愛読者だ
ったのでその部分はとても共感を覚えた。もっとも自分には氏のような膨大な記憶力や緻密
な分析力を武器とする才能は微塵も持ち得ていないが。
ビートルズのメンバー編成に係わるエピソードも満載だ。
ドラムのリンゴ・スターが加わる前にピート・ベストなるドラマーが在籍していたが、後年
彼は『シュガー・ベイビー・ラヴ』という1970年代にスマッシュヒットした曲に係わってい
たという数奇な運命なども解説されている。
歌詞に係わるエピソードも枚挙にいとまがないが一番い印象深かったのは『シーズ・リー
ヴィング・ホーム』だ。
名盤と言われた『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収めら
れている一曲だがとても美しいメロデイが印象深くてビートルズの中でも最も好みのうちの
ひとつでもある。
ポール・マッカートニーが少女が家出したと言う記事に触発されて書き上げたものだがその
少女は数年前にポールが審査員を行ったテレビのダンス番組で優勝していた、というもの。
こんな作り話みたいな実話には陳腐だが「事実は小説より奇なり」がとてもよく似合う。
妻が日本人のヨーコ・オノであるジョン・レノンの日本びいきエピソードでは、ジョンが
柔道に魅せられ道場見学をしたばかりか乱取りまで体験した実話が最も興味を引いた。
師範の娘で小学校5年のノリコちゃんはジョンの乱取りが「ダンスを踊っているよう」と見と
れていた。
気をよくしたジョンは40枚ものサインを道場の生徒たちに書いたのみならずその2週間後も
当時2歳だった息子のショーンを連れて再び訪れた。
ショーンの遊び相手はノリコちゃんが担った。
そこでジョンは必ずまた帰ってくると約束した3年後、凶弾に倒れ望みは叶わなくなる。
その後中学で柔道を始めたノリコちゃんはソウル五輪で銅メダリストとなる・・・
泣かせるエピソードである。
しかし本橋=藤本の対談には続きがある。
本橋=ジョンが生きていたら何かドラマがうまれたでしょう、ジュウドウと少女の歌とか
藤本=ヘイ・ジュウドウと言わせたい流れですね(爆←ブログ筆者の加筆)
*Hey Judeはポールですから・・
ちなみに藤本氏のダジャレはこのほかにも頻出しています。
と、まあほんの一部を取り上げたがこのほか公序良俗に反するエピソードも満載でとても
読み応えがあった。
理屈っぽいたとえになるが私は『ビートルズマニア』には遠く及ばず『ビートルズの曲マ
ニア』のビギナークラスである。
そのようなクラスを称する方々は老若男女相当数にのぼるのではないかと推察するが、本
書はそんな方々にもぴったりとはまると思うので自信をもってお薦めしたい。
アンダーグラウンド・ビートルズ
著者 藤本 国彦・本橋 信弘
発行所 毎日新聞出版
初版 2024年6月5日
杜の都仙台で気品高き赤煉瓦建物を鑑賞 [旅行]
ひと月前のレポで恐縮です。今年のゴールデンウイーク前半のこと、今年もイベント参加の
関係で宮城・石巻を訪れました。
ときに今回は宮城県在住の仲間たちが仙台で歓迎会を企画してくれたので喜び勇んで前日土
曜日の夕刻に仙台入りし、新鮮な魚料理とうまい酒に囲まれた大変充実した旅となりました。
仲間の皆さま大変お世話になりましてありがとうございました。
ところで仙台へ向かうに際して、自称乗り鉄の私としては趣味と実益を活かすべく各駅停車
を乗り継いだ旅の計画を立ててそれを敢行しました。
しかも社会科見学を兼ねて原発事故の復興状況をこの目で確かめてみたいとの思いから東北
本線ではなく常磐線経由としたのです。
乗継のサイトで調べたところ仙台18時過ぎに到着のスケジュールでシミュレーションすると
東京を10時過ぎの出発となるのでちょうどお手ごろな時間です。
けれど昨年福島で行われたイベントのときにもこの手法を使い現地に向かったもののJR東日
本の不安定なダイヤのえじきにかかり列車の遅延により乗継に失敗して集合時間に間に合わ
なくなったため途中で新幹線に切り替えたりしたのでコスパ最悪の旅となってしまった苦い
経験を思い出したので、万が一に備えて一本早いスケジュールで出発することとしました。
一本早いと言っても10分、20分の単位ではなく3時間近くも前倒しすなわち朝7時台のスタ
ートとなりました。出勤時間とまったく変わらない状況。
ということで常磐線乗り鉄の旅スタート・・・・ではなく今回のテーマはタイトルで示した通り
なのでここはサラッと運行の遅延が発生せず計画通りに進んだこと、それに福島県の原発事故
発生地域の景観は13年の歳月が被害の爪痕をほとんど修復してくれていたことを記すに留め
ておくこととします。
という事でここからが今回のテーマに沿う流れすなわち仙台到着が宴会時間より3時間近く
も早くなったので時間の使い方を考えた時思い立ったのが久々の古煉瓦鑑賞でした。
すかさずネットでチェックしてみてまずヒットしたのが<杜の都のれんが下水洞窟>
この遺構は明治30年代に築造された煉瓦造りの下水道だそうで平成22年度の土木学会選奨
土木遺構認定されたとのこと。
これは遺構としての価値が高いと感じてにわかに興奮したのですがもう少し調べてみると無
料で見学できるものの1週間前を締切とする完全予約制であることを知りガッカリでした。
そこで次にヒットしたのが<旧第二高等学校書庫>
仙台駅から徒歩圏内の東北大学片平キャンパス内に現存されているようです。
ということでここを訪れることに決めました。
駅から徒歩15分ほどで片平キャンパスにたどり着き、さっそく思わず写真に収めたくなる
素敵な建物に出会いました。
あとで入手した資料によると<旧仙台医学専門学校博物・理化学教室>だそうです。
こちらもとっても趣深い建物なのでついカシャ。
<東北帝国大学機械・電気工学教室>「エントランスホールが帝国大学の気品を残して
います」と解説されていますがまさにその通りだと感じるものがあります。
このほかにもそれなりに刺さる建物に出会うのですが片平キャンパス内をしばらくぐる
ぐるするも、本丸の古煉瓦建物が見当たらなので少し焦りを感じていたときに守衛室を
発見。
砂漠で水を求めているときにオアシスを見つけた気分です。
小走りで守衛室に向かいました。
年配の守衛さんが居りましたのですかさず目指す建物の位置を訊ねる。
登録有形文化財に指定されている建物だから秒殺で答えが返ってくると思ったら
「え、なんですかそれ?」と逆に質問されたので思わずズッコケてしまいました。
改めて解説してようやくその古煉瓦建物が現在は<文化財収蔵庫>であることを認識し
てくれたので道順を教えてもらうに至りました。
見つけました~
久々の古煉瓦にしばしウットリ。
イギリス積みのようです。
建築年が明治45年とのことなので当時主流だったイギリス積みで妥当か、と。
久々のレンガ鑑賞で魂を抜き取られたように頭が働ない状態に陥ったのですが、リセット
してから我に返ったとき、刻印を探してみることに行き当たりました。
あった。
地面から高さ1mくらいのところでしたので極めて見つけやすい位置でした。
しかしㇷと思ったのですが今まで探し出した刻印は社名とかカナ文字1字を〇で囲った
ものとかばかりで露骨に苗字の刻印は初めてです。
ウットリしていたらあっという間に時間が経過して仲間たちとの約束時間が迫っていた
ので急いで守衛室まで戻って目的物に出会えたお礼と素晴らしい建物だったと感想を伝
えたのと、煉瓦の刻印も見つけたことを報告すると、守衛さんに感激されてしまい、歴
史的建造物の研究をされている教授に報告します、と逆にお礼を言われてしまいました。
ということでいつもながら付け焼刃的行動ですがいつもながらまったく予想もしていな
かった展開を味わえて今回も満喫できた紀行でした。
新宿御苑散策 [ネットコミュニテイ]
4月13日、英ちゃんさん主催の新宿御苑つつじ鑑賞会に参加させていただきました。
新宿区に住んでいながら新宿御苑に足を踏み入れるのは自分の記憶が正しければ小学校一年
の春の遠足以来なので五十数年ぶりとなります。
それはさておきまず驚いたのはその混雑度合いでした。
新宿門から入ろうとするも大混雑のため大木戸門に迂回させられる。
そして大木戸門でも蛇のうねりのような行列なのでこれでは園内で約束した待ち合わせ時間
に遅刻することが当確です。
さて困った、幹事さんに伝えねば・・と列の後方に目をやると幹事さんが並んでいるのを発見。
大声を出してコールするも気づいてくれなかったので自然体で行列に並び身をゆだねること
にしました(kiyotannさん、kick_driveさん、ごめんなさいでした)
30分程の行列を経て園内に入って次に驚いたのは桜がいまだ満開だったことです。
なのでつつじはほとんど見られませんでした。
さて本日参加の4名が揃って顔を合わせた後は〔自由行動〕という事になり再集合時間だけ
決めて各自がそれぞれ約2時間のフリー活動です。
<日本庭園>
石灯籠の先の池のほとりで「カメ」が池に潜ろうとしている瞬間です。
まわりのお客さんが「カメ、カメ」と騒いでいたので私も遅まきながら気づいた次第です。
<対決:御苑の桜vsNTTドコモ高層ビル>
緑の庭園に煌びやかに花開く桜の背景には世界一の乗降者数を誇る新宿駅界隈高層ビルの
ひとつであるNTTドコモビル。しかも逆光にあらがってあえて撮影しました(ムチャクチャ)
<旧御涼亭(台湾閣)>
大変特徴的な窓なので撮影したのですが、旧御涼亭は昭和天皇のご成婚を記念して当時台湾
在住邦人有志の方々から寄贈された建物だそうです。なぜか異国情緒を感じたのはそういう
ことだからなのですね、台湾には先日訪れたばかりだったので一層親しみを感じました。
さてこのほかにも何枚か撮影しましたが駄作ばかり並べても仕方ないので以上とさせて戴き
ます。
参加された皆さまお疲れさまでした。
またご一緒させていただきましてありがとうございました。
ディープでカオスな街 大阪/道頓堀・新世界・鶴橋 [旅行]
4月5日(金)、有給休暇を取得し大阪を訪ねて一泊して来ました。
今回のミッションのひとつは学生時代の友だちのお墓参りです。
私には学生時代を共に濃密に過ごした仲間が25人いました。
それが昨春1人、今春1人と天に召されたのです。
しかし60代半ばの私にとって去年初めて仲間を失ったかといえばそうではなかったことに
気づき、思い返してみたら最初に仲間が昇天したのは24年も前のことでした。
その仲間は大阪の出身で地元のお墓に眠っていましたが葬儀のとき私は本州の最果てに住ん
でいたため駆けつけられず、よって今まで一度も彼の墓前に手を合わせに行ったことがなか
ったので、不義理を詫びる思いも込めて訪れることとしたものです。
彼が眠っている場所は<四天王寺>の共同墓地内。
初めて訪れたのですが、境内は想像をはるかに超えた広さであったため驚きを通り越して
「なんだこりゃ!」と思わず苦笑してしまいました。
単独行動でやって来たのでかつて訪れたことがある仲間から位置関係の解説を受けて準備し
たつもりでしたがアバウトな人物からの説明をさらにアバウトなワタシが受けるのでまった
く役立たずの情報であったことを入り口に立ったときに気づきました。
そもそも入り口が1か所だろうと決め込んでたものの東西南北4か所から入れるようになって
いるのにどの入り口から入るかの解説すら無いものなので結局お寺の中で幾度か訊ねてよう
やく目的の場所である<納骨総祭塔>にたどり着いたのですが、それが何と閉門2分前と滑
り込みセーフという綱渡りでした。
ちなみに左側の写真で示されている通りお寺なのに入り口が山門ではなく鳥居が建っている
のは珍しいなあと感心してネットで調べてみたら数は多くないが、たとえば東京では目黒不
動尊などに見られるのですね、ひとつ勉強になりました。
いつか暇を見つけて寺院の鳥居巡りなぞをやってみたいです。
ひとつのミッションを終わらせた後に訪れた先は大阪の最強シンボル<通天閣>
お初です。
<四天王寺>から徒歩10分強でした。
尤も有名観光地のスポットにはまったく興味が無いので展望台はスルーして周辺を散策。
通天閣のふもとに〔坂田三吉〕を讃えた王将碑が建っていました。
そうか、村田英雄の代表曲〔王将〕の歌詞は〔坂田三吉〕がモデルと言われ、歌の中には
<通天閣>も登場しますね♬
通天閣の周辺には〔串カツや〕さんがずらりと軒を並べていましたが、ふもとにあり「創業
昭和4年」のうたい文句に引き寄せられて入った店で生+串カツを嗜みます。
ノーリサーチでしたが有名中の有名店でした。
夕方の小腹がすく時間帯に訪問したのですが、夜に仲間たちと道頓堀でコナモノをコースで
予約していたので抑え目にオーダーしました。
当然いずれもアツアツ揚げたてでほっぺたが落ちるウマさ、ビールとの相性抜群でした。
少し離れたところで素通りができない暖簾に遭遇。
先ほど串カツ3本と生1杯で空腹中枢が刺激されてしまっていた状態だったものの後のスケ
ジュールを勘案してそのまま振り切ろうとするも結局〔ホルモンうどん〕の引力を振り払
うことが出来ず吸い込まれてしまいました。
メニュー表には「ホルモンを豚バラに替えるオーダーも受付けます」の注釈を見つけました
が迷うことなくホルモンうどんを注文。
期待通りのおいしさでした、因みにに料理の画像は失敗作なのでお蔵入りとさせて戴きます。
悪しからず。
ここにも入店してコーヒーを味わいたかったけど時間の関係で外からの見学のみ。
昭和の匂いが色濃く残された喫茶&レストラン。
あぁ夜のコナモンに参加する予定を組み込んでいなければここで〔イタリアンスパゲテイ〕
と〔ホットケーキ〕をオーダーして存分に昭和の雰囲気と味に浸っていたのになぁ。
<通天閣=新世界>をあとにして仲間たちと約束したコナモンの店がある<道頓堀>へ向か
います。
先ほどカロリーオーバーしてしまったのとまだまだ時間に余裕があったので電車を使わずに
徒歩で目指しました。
道行く人の多さに感心しきりでしたがうちインバウンドの割合が間違いなく半数以上。
でも道頓堀に着いたら異次元の混雑でした。
特別なイベントがあるわけでもないのに大げさでなく歩くことすら不自由で身動きが取れな
い状態に近いのです。
それでも目的のお店に30分近く早めに到着してしまったのでほど近くのカフェを目指して時
間調整を図ります。
チェーン店のカフェでした、ほかを探したいところですが人の波に溺れそうなので妥協して
入店。
店内も大変込んでいましたがひとりだったため運よく待つことなく奥の席を案内されたその
場所は道頓堀川が一望できる特等席でした、ラッキ~。
おとなりは西洋人のカップル、自分が英語に精通していたら話しかけたいところですが残念
ながらそんな能力は持ち合わせておらず、ひとり川面を行き交う遊覧船を眺めていました。
◇ ◇ ◇ ◇
さて翌日はこの旅のもうひとつのミッション、東大阪市で開催されるイベントに参加するこ
ととなっていて会場へは電車で向かいますが乗換駅の<鶴橋>で途中下車しました。
ここの駅前市場をウォッチしたかったのです。
鶴橋駅はJRや近鉄などが交差するターミナルステーションですが駅周辺で6つの市場や商店
街からなる大阪鶴橋市場はなんと店舗数が800にも及ぶそうです。
朝9時台だったため人はまだまばら。
駐車場や<公衆便所>も備わっています。男子トイレで小用を足しましたが、年期は感じ
られるもののとても清潔に掃除が行き届いていて感心しました。
カフェ、もとい喫茶店を見つけたので入店。
向かいの席の荷物はマイリュックサックです。くくりつけいてるキーホルダーは前回記事
で紹介した台湾烏来(ウーライ)で入手した〔イノシシ牙〕です。
これ手前味噌ですが黒のリュックにぴったりマッチでえらく気に入りました。
旅先でも自分があらゆる危機から護られているような不思議なパワーを感じています。
頼みますよイノシシ牙さま!
ちょっと尻切れトンボですが写真が出尽くされたのでディープでカオスな旅の報告はこの辺
でお開きとさせてただきます。ここまでお付き合い下さいましてありがとうございました。
【台湾観光】線路上で発射する天灯のカオスさと首狩り族の地を往くトロッコ列車 [旅行]
先月のことになりますが、台湾を観光してきました。
7年前に初めて訪れた時は観光地をあまり観て回らなかったのですが、今回はランタン・・
天灯の打ち上げイベントや千と千尋の神隠しに登場する建物のモデルがあると言われてい
る九份観光、それにトロッコ列車に乗って原住民の舞踊などを見学したりと、色々
体験できたので一応記録にとどめておこうと思います。
まず最初に向かった先は<十份>という場所で行われる≪天灯≫の打ち上げです。
≪天灯≫というランタンを空に飛ばす、この様なガイドさんの説明に(いつものように)
予備知識なしで臨んだので全く理解できていなかったのですが、目的地に向かう途中の
バスの中からこの光景を目にして、要するにこういうことかとようやく呑み込めました。
このように大人の背丈に近い程の大きな提灯の中で火をともして空に打ち上げると
いうものなのですね、そして提灯には墨で願い事を書いて・・
ご覧のとおり鉄道廃線のスペースを使って打ち上げ準備に取り掛かります。
線路の両サイドはお土産ショップ、そして線路上では観光客がごった返しといかにも
東南アジアのカオスな雰囲気という感じでした。
提灯下部の燃え盛りに注目あれ、着火すると空へ舞い上がって行きました。
熱気球の原理なのですね、お見事パチパチパチ・・(火が燃える音でなく拍手ですw)
と空を見上げ続けていたら廃線と思っていた線路からなんと鉄道がやってきました!
こんなところで轢かれて命を落とすわけにはいかない、笑うしかなかった。
のどが渇いたのでオレンジジュースを飲んでみることとします。
60元≒300円、店員さんが目の前で4個のオレンジを絞って提供してくれました。
「天然最好」という日本語の宣伝文句が造語なのか少し気になったのですがw
次に向かった先は<九份>です。
千と千尋の神隠しに登場するような建物に出くわしました。
夜間であいにくの雨かつ四国の金比羅山の参道のように坂と階段の狭い道に観光客でごっ
た返しだったので落ち着いて観て回る余裕はありませんでした。
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翌日は台北からバスで約1時間ほどと近くも風光明媚な烏來(ウーライ)区を訪れました。
最初に民族博物館を訪ねてガイドさんの説明によるいわゆる台湾人のルーツとされている
『タイヤル族』についての解説を受けたり歴史的資料を見学したりしました。
ガイドさんの説明で衝撃を受けたのは、タイヤル族の男性は敵族の首を召しとって帰って
来て初めて一人前と見なされるという風習を有していたということ、しかもそれが比較的
近世まで行われていたという点には驚きを禁じ得ませんでした。
尤も日本にしても戦国時代では敵将の首を召しとりそれが合戦における勝利のシンボルと
されていたわけですから驚くほどのことでもないのかも、ですかね。
民族博物館をあとにして今度はトロッコ列車に乗車します。
このトロッコ列車ですが元々は木材運搬用に人力で動かしていたものを今から60年ほど前に
観光用としてリニューアルされたそうです。
終点駅の手前のトンネルも観光用として路線を延長するべく比較的最近掘られとのこと。
台湾の発展・躍進がこのような観光地においても垣間見ることができますね。
終点の駅を降りた先の<酋長文化村>で昼食を摂りました。
台湾名物料理である竹筒に入った中華おこわを堪能しました、うまかった。
食事を摂った後は先住民族の美男美女による民族舞踊を披露してくれました。
こちらの写真は舞踊後、烏來のシンボル<滝>を背景に記念撮影に応じてくれたもの
です。
イノシシの牙のキーホルダー。けっこう値が張りましたが自分が亥年なものですから
ひとめぼれしておみやげとして自分のために即決購入、お守りとして大切にします。
滞在最終日の夜は前回行きそびれた<夜市>に繰り出しました。
鍋から上がる炎は迫力満点、それを眺めつつ深夜にたしなむビールとラーメンは蜜の味。
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翌朝、帰国の日。ホテルから桃山空港まで仲間が大型タクシーをチャーターしてくれたので
すが、現地紙幣が底をついてしまったので仲間に支払うことができません。
ホテルで両替すればノープロブレムではありますがレートが高いのでそれはやりたくない。
日本円で精算することで勘弁してもらおうかとも考えましたが面倒をかけてしまうことにな
るのでやはり現地紙幣を準備することとします。
と、ここで数年前のNZを旅した時の裏技を思い出しそれを実践することを考えつきました。
すなわちクレカによるキャッシング作戦です。
さっそくホテルを出てすぐ並びにある銀行のATMに向かいました。
1か所めのチャレンジは最後のボタンをクリアできず失敗。(なぜクリアできなかったのか
は現地語なので理解できず)
数軒先に別の銀行ATMでチャレンジするもここでもダメでした。
次に失敗したら諦めてホテルのフロントに駆け込むつもりでいたところ成功にこぎ着けたの
です。同じ操作をしたつもりなので何が違ったのか把握できずでしたが、往生際が悪かった
ことが奏功しました。
ちなみに1000元の借入で後日発行されたクレカ明細では手数料込みで約4800円。
空港での両替では約5千円程度要したのでやはりお得でした。
ホテルなら軽く5千円超でしょう。
割り勘のタクシー代を払っても余る金額だったのでセブンイレブンに立ち寄って日本では
見かけない商品をいくつか購入してみました。
牛乳愛好家のワタシとしては『特濃5.1』の表示に魅せられて思わず購入し、乳脂肪分5.1
%を体験しようと勢いよく飲んでみてズッコケました。
『牛乳』ではなく『豆乳』だったのです、チャンチャン。
◇ ◇ ◇ ◇
ちょうどおあとがよろしいようで締めようと思ったのですが、番外編としてお蔵入りに
しようとした写真を目立たぬようにアップして結ぶこととします。
<烏來>に所在した建物にそびえる壁面彫刻2体です。
若干修正を加えねばアップがかなわないと判断しましたことご容赦ください。
昨今しきりに声高に問題提起される「ダイバーシテイ」を考えるにあたって今一度原点
に立ち返ってこの2体を見つめなおして論じたいものです(本気度50%です悪しからず)
四十九日 [日記・雑感]
本日2月26日は友が旅立ってから49日が経つ。
私にとっては10年ほど前に偶然出会ったことから始まり、その後しばらく途切れたものの縁
あって再会を果たしてからのおよそ数年程度の交流に過ぎなかったが、遊びの情報に長けて
いた彼と会うことを私としては常に楽しみとしていたかけがえのない人物であった。
あまりにもあっさり逝ってしまった友を偲んで、また謹んでご冥福を祈る気持ちを込めて個人
的な記録としてここに綴ることとする。
(彼のいきつけだった俗称「あやしいマスターのいるあやしいお店」で献杯)
註)あくまでもごく一部SSブロガーの間で通用する俗称です
1月8日 彼は旅立った。まだ若いのに・・60代前半、齢はわたしよりひとつ下だ。
その10日前SNSで年が明けたら遊びに出かける約束を交わした矢先だったので訃報の報せ
を受けた時はわが目を疑った。
しかし思い起こせば亡くなる2か月前に会ったとき顔から上半身にかけては痩せ細ってしま
ったのに比しておなかは腹水がたまってかなり膨らんだ姿を見ていたので、早晩この結末
を迎えてしまうことは想像に難くなかった。
最後の出会いとなってしまった2か月前のその日、私たちは彼がかつて住まわれていた東京
の某郊外にある一杯飲み屋で会食する約束を交わしていた。
私はその日の昼間、都心のグランドでスポーツに興じていた。
活動後にそこのシャワー設備を使わずに、待ち合わせ場所の一杯飲み屋近くにある銭湯を彼
から紹介されていたのでそちらへ直行したのだ。斯くいう私は無類の銭湯愛好家である。
気持ちよく汗を流していたらそこに同じく銭湯好きの彼も入ってきた。
そこで図らずも彼の腹部が視界に入ったので自分としては思わず固まってしまった。
それでも私は平静を装いつつお互い気持ちよく湯船につかってから風呂屋を後にしてそこか
ら徒歩数分、彼がかつて行きつけとしていた間口が狭くて地味なたたずまいである故一元客
はます寄り付きそうもないその店舗へと足を踏み入れた。
カウンターのみの手狭だけどそれなりに奥行きが確保された造り。
自分らと同世代と思しきママがひとりで切り盛りしていた。
銭湯経由とはいえまだ早めの時間だったため客は我々2人のみ。
ママは久しぶりに訪れた彼に少し驚いた表情を見せたが痩せこけた姿に対してはそれに関わ
る会話がなされなかったので事情を掌握していたと推察した。
ソフトドリンクとビール、それに2、3品の料理をオーダーし、日常の他愛ない話をママと
交わしてその店を出た。
次に向かった店はカラオケバー。彼の真骨頂、常連店への檀家廻りが始まったと感じた。
ここでもママさんが彼をとても温かく迎え入れてくれた。
店内は先ほどの店とは真逆でステージも備わっておりかなり広めでゆったりとしていた。
先客に年配カップルが居たが彼はその男性とも面識を有していたようだ。
体調が芳しくないのでマイクを向けられても最初は固辞していたのだが先客の歌を聴いてい
てスイッチが入ったのか得意のマニアックな昭和歌謡を次々と披露してくれた。
そんなこんなでとても楽しいひと時をすごせた夜であった。
かつてはエンドレスナイト状態だったが病魔から体力を奪われているこの日は小学生の就寝
時間にはお開きとして彼は高円寺へと帰って行った。
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高円寺と言えばブロガーの皆さんにはおなじみyummyからほど近い所に彼は住んでいた。
今からちょうど10年前、私は単身赴任の旅を終わらせて実家の高田馬場に戻ってきた。
そこから西武新宿線で2駅先に『中井』という地味な駅があるが私の帰郷祝いと称して地元
幼なじみの友人に連れられて訪れた中井のディープでチープなとあるバーで隣に座っていた
のが彼だった。
カウンター数名のスペースしかないそのバーは不思議なことに終電がなくなる時間帯に達す
ると人が湧きだすように集まって満席となる。
私はその店がすっかり気に入って、それからしばしば人が湧き出すような時間帯に訪れるよ
うになっていた。
すると必ずと言っていいほど彼が居た。
おのずと顔見知りになりあいさつ程度は交わすようになった。
それでもいつぞやからかぱったりと出会わなくなったので、ある時ママに尋ねたら実家に引
っ越したとのこと、だが実家がどこか聞くほど関心を抱いてなかったのでいつしか記憶の外
となった。
いっぽう私が所属しているとあるサークルの仲間が彼と親友であることをある時に偶然知る
こととなった。
何気なく彼がどこに居るのかを尋ねてみると『高円寺』だと返ってきた。
高円寺ときたら当時ぼんぼちぼちぼちさんのオフ会で訪れたyummyがすっかり気に入って
毎週訪れていた時期だった。
仕事終了後スポーツで汗を流してから高円寺の人気銭湯でひと風呂浴びた後yummyで生ビ
ールを一気飲みすることに至福の喜びを感じルーティンとしていたのであった。
サークル仲間にyummyという名前の店のことを彼に伝えてもらい機会あらばそこでの再会
を提案したその時さらなる偶然の瞬間がやってきた(あくまでも私の視点としてだが)
住まいがyummyから目と鼻の先であることが判明したのだ。
その後ほどなくして再会を果たした。
中井の店で最後に会って以来数年は過ぎていたと思う。
それ以降遊びに円熟味を増していた彼に高円寺界隈のあちこちの店を紹介され遊び回った。
時にはフィアンセだ、と言って連れ同伴で会ったり、別のある時は違うフィアンセを連れて
きたり…
そのようにして訪れた遊び場のひとつが一部SSブロガーとも何度となく足を運んだ俗称「あ
やしいマスターのいるあやしいお店」である。
傘寿を迎えたマスターが一人で運営している昭和風情あふれるカラオケスナックだ。
マスターはがんサバイバーだ。
昨年の正月にマスター本人から告知を受けたので驚いてそれを彼に伝えたら「実は自分も」
と伝えられてからぴったり1年を迎えて勝手にあっちへ逝ってしまった。
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通夜には詰襟を着た中学生や高校生たちが数多く焼香にやってきた。
彼は聖職者、誰もがよく知るミッションスクール小学校の教師だった。
私生活は授業で教えることとはおよそ正反対の生き様だったのだろうが生徒たちにとっては
人間味にあふれた魅力的な先生であったからこそ教え子たちがこれほどまでに参列にやって
きたのだと思うと思わず目から液体が流れ落ちて止まらなくなった。
一度きりの人生、自分にもいつなんどきやってくるかわからない運命、病魔との対峙。
改めて一日一日を悔いなく大切に過ごそうと心に誓った令和6年正月過ぎのある一日のこと
であった。
奇跡のVOICEを持つ珠玉のアーチスト小田和正の軌跡~空と風と時と~を読み終えて [本]
小田和正は今現在(=2024年2月)御年76歳を数える。
世間一般では75歳以上を指す『後期高齢者』へと突入した訳でありいわゆる名実ともに老人
なのだ。
なのに歌声はいまだ若い頃と変わらぬ、いやその頃よりもさらに磨きがかかった純粋無垢の
ハイトーンクリスタルボイスである。
私は小田和正について特別に入れ込んでいるわけではない、事実コンサートには一度も足を
運んだことが無い。
しかし40年以上にわたってコンスタントに魅力的な楽曲を創り出す才能に敬服する一方、彼
の辿ってきた(紆余曲折の)道のりについては野次馬根性も働いて非常に関心を抱いていたの
で、この新刊本が発刊されることを知った瞬間に予約を入れて出版日に入手した。
読み始めてから2か月以上かかって先日読み終えたが、これは内容が期待したほどでなか
ったということではなく普段読書に接していないので読むスピードが遅いことと、本作
品が600ページ超に及ぶ超大作だったこと、それに通勤時に限定して読むこととした
ので朝の連続テレビ小説よろしく毎日その先がどういう展開になるのかをワクワクしな
がら読み進めていったなどの事情が重なりかなりの時間を要してしまった訳である。
さて拙ブログを訪問くださる方々はみなさん人生経験が豊富な方たちばかり、とお見受け
するので小田和正のプロフィールを解説するということは野暮だと思うのだが、一応簡潔
に触れておこうと思う。
小田は1947年生まれ、横浜市の出身で実家は薬局を営んでいた。
中学・高校と進学校の私立聖光学院に通いそこで後に「(ジ)オフコース」としてコンビを
組むこととなる鈴木康博と出会って演奏活動をスタート。
二人のハイトーンボイスのハーモニーが紡ぐ作品は当時としても出色だったが曲調が地味
だったこともありしばらくは全く売れない下積み時代が続く。
しかし当時のプロデューサーの手腕により清水仁・大間ジロー・松尾一彦というロック色
の強い3人を加えたことにより5人編成でビートを効かせた曲を次々と発表するようになっ
て大ブレイクを果たし絶頂期を迎える。
だがほどなくして結成当初から活動を共にしてきた鈴木が脱退、その直後1年ほどの休止期
間を経て4人編成で再スタート。
ところがその活動も5年ほどで解散となってしまい、以後小田はソロで音楽活動を30年以上
続け現在に至る。
先にも触れたが私は小田和正というひとりのアーチストに特段着目していた訳ではないの
で文中再三にわたり登場する〔クリスマスの約束〕なる音楽イベントすら知らなかった。
これは現在進行形で活躍しているアーチストたちを一堂に会してリレー形式で歌いつなぎ、
最後は全員でクリスマスソングを合唱する、という小田が企画・提案そして実現に持ち込ん
だ音楽イベントだそうである。
今から20年以上も前に行われたこのイベントを皮切りに毎年クリスマス時期に催されている
そうだ。(直近2年間は開催されてないようだが)
かつてアメリカで〔ウィ・アー・ザ・ワールド〕が当時超一流アーチストたちによって唄わ
れたがその日本版のようなものか。
小田は進学校で中高一貫の聖光学院から現役で東北大の建築学科に進みそこから更に早稲
田大学の大学院で建築学を学びつつ当時すでに演奏活動に携わっていたにも拘らず大学院を
中退せずにキッチリと卒業しているいわば高学歴芸能人のさきがけだ。
勝手ながら小田の人物像について秀才かつ完璧主義で自分の創り上げたものに対して絶大な
自信を誇るが人とのコミュニケーションを得意とせず自分中心に少数の気の合った仲間との
み物事を仕上げていくようなタイプか、と思っていた。
事実小田に接した音楽関係者は口々に無口な人とかとっつきにくいなどの感想を漏らしてい
る。
しかし実際の小田は人との付き合いを大切にし、相手をリスペクトする姿勢を有する至って
懐の深い人物であるということをこの書物では説いている。
「オレがオレが」の目立ちたがり屋でなければ生き残るのが難しいとされる言わば生き馬の
目を抜くのが当たり前な芸能界では貴重な存在であろうということだ。
また吉田拓郎と交流することとなったいきさつについても触れられていて、どちらもアクが
強いだけに気が合うとお互いが厚い信頼と固い絆で結ばれている様が読み取れてとても微笑
ましく感じられた。
ところで私は筆者の追分日出子氏についてまったく存じていなかったのだが昭和史全記録な
どの時代を編集する企画の編集取材に携わるいわゆるドキュメンタリー作家なのだそうだ。
小田について細部に渡ってのあらゆる情報があきれるほどもりだくさんに登場してくる情況
から、浅はかな私はきっと筋金入りの小田ファンなのだろうと想像したのだが、それは作品
のあとがきを読んでまったく見当違いであったことを知り改めてドキュメント作家の手腕に
脱帽してしまった。
そんな小田の細部にわたる情報の中で私がもっとも心に刺さったのは、彼は少年時代におい
ては腕白でいたずら好き、そしてスポーツ少年だったという事実。
聖光学院中学では野球部に入部かつ最上級生3年次では何とキャプテンに任命されている。
今では少年が憧れるスポーツはサッカーにその地位を譲ってしまった感が強い野球だが、昭
和の時代はダントツで野球だった。
なのでスポーツを得意としていた男子(これも今となってはきわめて昭和チックな表現だが)
はこぞって野球を選択していた時代だ。
思春期でスポーツに長けていた者たちの集団たる野球部に在籍してキャプテンを張るほどの
実績を持っていたことと名門大学の理系を渡り歩き修士号まで取得した上で極上のヴォーカ
ルを演ずるというギャップ萌えに私はやられてしまった。
ということで当初は小田がミュージシャンとして60年に渡り活躍する間に2人→5人→4人
→1人と変遷していった事実とかエピソード等を知りたいがために読み始めた本作品ではあ
ったがその理由は今まで伝えられてきた内容と概ね一致していたのであえてここでは解説す
ることは控え私自身が驚きを以って得た上記内容について触れたことで締めとさせて戴く。
【焼きカレー】食べ比べ [グルメ・料理]
今月初旬のとある平日お昼どき。
普段の昼食は職場で手配してくれている仕出し弁当で済ませていますが、この日は午前中
から外出しその外出先の方々と食事を共にする予定でした。
しかし急きょそれがキャンセルとなったため、珍しくひとりランチの機会が巡ってきたの
です。
自分で食べたいものを自分で選ぶ、というささやかな胸のときめきを感じながら、職場へ
の帰路途中で乗換駅となる浅草橋駅界隈で手ごろなランチの場所を探ってたどり着いた先
がココです。
駅から至近距離で食べログでもかなりの高得点なんです。
私は食べログ信仰者とまでは行かないまでも、自分の味覚における嗜好ともほぼほぼマッ
チしているゆえそれなりに信頼は置いているのでついつい期待してしまいます。
すると案の定12時より30分ほど前に到着したにも拘らず数名の行列でした。
(写真は食事後の撮影です。この時の方が行列は少なかった)
そして壁面に掲げられているメニューの下に食べログ百名店のパネルを見つけ、おのずと
テンションが上がらずにはいられなくなってしまいます。
そして一推しメニューは『焼きカレー』
店外の壁面でも写真で紹介されていましたが店内の写真はさらにクリーミーで食欲をそそ
るように写されているのでワタシの脳内では既に連鎖反応が発動して急激な空腹感に襲わ
れました。
行列に並ぶこと10分ほどでお店の方に店内テーブルすみのひとり席を案内されました。
メニュー表は形だけ目を通したものの速やかに焼きカレーランチセットをオーダー。
するとほどなく昭和定番フレンチドレッシングがかけられた野菜サラダが着丼となる。
しかしせっかくなので本丸といっしょに食べることにこだわり、待つこと10分ほど(だっ
たでしょうか・・・)
ちなみにサラダとメインをいっしょに食べるこだわりは単なる写真をいっしょに撮りたか
っただけです。
ずぼらブロガーですがこの時点ではひょっとしたらブログネタにする気が起きるかもしれ
ないとの思いが芽生えていました。
そしてサラダ完食後いよいよメインディッシュへとアプローチ。
ひと口食べてまず感じたのは、熱っ!
ワタシは猫舌なので他人より熱いものに敏感だと思いますがそれにしても普通の量を口に
入れていたら間違いなく吐き出すほどの熱さでした。
でもそれがスパイシーなカレールウやモチモチのチーズ、そしてそれらへ絡みつくマイル
ドな半熟たまごとの絶妙なハーモニーへと鮮やかな味を創り出してしていました。
ある程度料理の温度が落ち着いてきて食べ進めてゆくと具材には栄養バランス代表格の人
気野菜であるブロッコリーと昭和テイスト代表格ウインナーソーセージを親指の先っぽ大
に切り刻んだサイズのものがこげ茶色とクリーム色を呈したペーストの中に埋もれている
ことに気づきました。
味わいながらも他人といっしょでは無いので黙食を貫いて食べ終わった後食後のコーヒー
を嗜みながら、昭和を生き抜いたおやじにはど真ん中のカレールウだったことやウインナー
もいい仕事をしていたなあ、と手前勝手に振り返って評価していたのですがひとつ素朴な
疑問に感じたのが〔百名店〕たる看板。
(ここまでも手前勝手なことを書き連ねてきましたがここからは更に私見が強くなるので、
ご了承ください。)
私の舌はそこまでの料理であるとようには感じられませんでした。
なのでこの時点に至り残念ながらブログ記事にする気力が失せてしまっていました。
いっぽう食べ終わって真っ先に思い浮かんだのはyummyの『焼きカレー』です。
(メニュー表には掲載されていませんがオーダーしたらイヤな顔をせず応じてくれます)
そう、疑問とはすなわち百名店の焼きカレーよりもyummyさんの方が美味しさが上回っ
ていたはず、と思った事です。
この疑問がアタマから離れなくなり悶々と過ごしたので浅草橋訪問から1週間ほど経過
したとある平日の夜、この日は知人のご子息が急逝されお通夜に参列した後、ひとり精進
落としと称して高円寺を訪ねたのです。
こちらが(ワタシの中の)鉄板yummyメニュー『焼きカレー(セット)』
考えたら半年、いや1年ぶりくらいかもしれません。
同じカレーメニューでもしばらくはメニュー表掲載の『(夏)野菜カレー』をオーダーし
ていたと思うので。
久しぶりに食べたわけですがやっぱり感じたのは「コレだっ!!」
写真を比較してお分かりの通りビジュアル的に一目瞭然なのが「たまごの黄身」
yummyさんでは完全独立系ですが、浅草橋のはカレールウやチーズの中に埋もれていま
した。
しかし食べ進めた感じではyummyさんでも黄身はかき混ぜて食べるので味わいはどっち
もさほど変わらない感じ、そして具材のブロッコリーも似たり寄ったり。
でも明らかな違いに改めて気づいたのはyummyさんではウインナーが入っていません。
ということはワタシの感覚においては<『焼きカレー』にウインナー不要論>なのだな、
と結論付けました。
ワタシは昭和に青春時代を過ごした輩ゆえ、ウインナーは大好物です。
事実スパゲテイナポリタンにウインナーが入っていると涙が止まらなくなるほど好んで
食べます。
が、焼きカレーにウインナーは余分だ、という思いを強く感じたということです。
なので食べログの点数に傾倒し過ぎることは自分自身今後も戒めたいと思います。
蛇足ですがyummyさんにはもっともっと高得点がつけられてもおかしくない気もしま
すが、そうなるといつ行っても満員で落ち着きが失われてしまうのでこのままの状態で
末永く続けられることを切望します。
(おまけ、YUMMYUオリジナルブレンドコーヒー豆)
本年もずぼらブログにお付き合いくださいましてまことにありがとうございました。
来年も気ままな題材と気ままなアップに終始すると思いますが引き続きお付き合い
くださいましたら幸いです。
井上尚弥モンスター伝説【怪物に出会った日】を読んで [本]
読んでいて幾度となく体の中を電流が流れた。
◇新刊本:怪物に出会った日~井上尚弥と闘うということ
◇著 者:森合 正範
この書物を読み終えた直後の率直な心持ちである。
筆者は東京新聞運動部記者なのですなわちスポーツ記事を書くことを生業としている。
そして筋金入りのボクシング愛好家だ。
そんな筆者は井上尚弥の相手を仕留める闘いぶりが圧倒的すぎる余り、表現がいかにも
薄っぺらくなってしまいその本当の強さを一般大衆に伝え切れていないのではないかと
いうジレンマに苛まれていた。
そんなときボクシングにあまり明るくない記者仲間のひと言が腹にストンと落ちた。
それは井上と対戦して敗者となってしまった相手を取材してみてはどうかということ。
割と当たり前すぎる受け答えだったが筆者にとってはその着眼点は盲点だったためこれ
は行けるのではないかと直感したが、しかし同時にそれは極めて困難な作業であること
も理解していた。
なぜなら筆者は学生時代から後楽園ホールでアルバイトをしてきてボクシングの試合の
舞台裏にも携わってきた。
勝者のグローブより敗者のグローブの方が重く感じたり、負けた選手の嗚咽が耳に残っ
ていたり・・という敗者のつらい現実を体感してきていた。
選手にとって敗北がいかに精神的な負担が重たいかを目の当たりにしてきたのである、
まして取材する相手はプライド高き元世界チャンピオンたちであり、深く傷ついたであ
ろう敗戦の思い出を一介の新聞記者ごときに素直に語ってくれるるのだろうか・・
それでも筆者にとっては井上がいかに普通の勝ち方ではないことを、一般大衆へ正確に
伝えるためにはこの手法がベストであるという信念のもと勇気をもってそれを実行して
ゆく。
インタビューは海外の元チャンピオン3人を含む外国人選手6名。日本人選手4名それに
海外チャンピオンの息子1名の計11名に対して行われている。
いずれも敗者の口から衝撃的な状況が生々しく語られているのだが、私がもっともその
衝撃を強く感じたのはオマール・ナルバエス(アルゼンチン)の証言。
「ブロックしようとしたら思った軌道と違っていた。パンチが外側から来ると思ったら
角度が変わってガードの内側に入ってきた。フックの軌道がストレートに変わったよう
な・・」
ナルバエスはアルゼンチンボクシング界の超英雄であり12年間に渡りチャンピオンベル
トを維持、18年のキャリアにおいてKO負けはおろかダウンの経験すら無いほどにディ
フェンススキルの高い選手が吐露した言葉である。
かたやこのとき井上は弱冠21歳、戦績は7戦7勝とプロの試合は10戦にも到達してい
なかった時期、かつ井上にとってはライトフライ級からスーパーフライ級へといきなり
2階級もあげての世界タイトル挑戦だったことを考えるとどれほどまでに井上のパンチ
が離れ業であるかを端的に物語っている証左だ。
このような敗者のリアルな証言が満載なのだが、この書籍全体から浮かび上がる井上の
最大の凄さとはいったい何かを考えた時、それは「謙虚さ」ではないだろうか。
通常のチャンピオンの場合世界タイルマッチの直前は極めてナーバスとなるため、イン
タビューでは口数が少なくなるが、井上の場合対戦相手がビッグであればあるほど饒舌
になり逆に相手が大した実績を有していない選手の場合は口数が少ないそうである。
ボクシングチャンピオンは2種類の考え方を持つと言われて来ている。
ひとつはとにかく金を稼ぐために強くもない相手を選んで防衛を繰り返すタイプと、も
うひとつは常に強い相手を選んで自分自身の実力を測り試合で勝利して、次の試合へ精
進を重ねる。
井上はまぎれもなく後者のタイプだ。
だから井上は実力の低い相手と闘うときはモチベーション維持のため口数が少なくなり
実力者との対戦前は本人自身がワクワクしているために多くを語ってくれる、と筆者は
分析している。
格闘技系スポーツでは対戦前に舌戦がしばしば繰り広げられる。
相手を口汚くこき下ろし自分の凄さをアピールするアレだ。
かつて「ビッグマウス」と揶揄されたボクシング界のレジェンド<モハメド・アリ>の
名残りかも知れない。
いっぽう井上は対戦相手を試合前後通じて常にリスペクトする姿勢を崩さない。
相手をけなすような言動はもちろん一切行わないしさりとて自分自身を誇示することも
まったくしない、きわめて紳士的な態度に終始しているのである。
唐突だが米国大リーグで先日2回目のMVPを獲得した大谷翔平の最も優れた点を挙げ
るなら私としては恐ろしいまでの謙虚さを真っ先に指摘させて戴くが、同時期に日本が
生んだこの2大ビッグスターに共通するところだと強く感じるし、また日本人として誇
りに思ってしまう。
さて最後に私の願望を記して締めることとしたい。
井上尚弥が現在の地位を築き上げる以前に山中慎介という王者がWBCバンタム級王座
を12度防衛する活躍を見せていた。いわば井上以前の日本が誇るボクシング界スーパ
ースターである。
しかし具志堅用高の13度防衛の日本記録直前でルイス・ネリに敗れたわけだがネリは
後日ドーピングで陽性反応がなされたと報道されるに至った。
ところがメキシコ出身者であるネリはWBCという組織自体がメキシコに本部を置いて
いることから自国選手へ不利に働く裁定はなされずチャンピオンベルトははく奪されな
かった。
その後山中はネリに再戦を挑んだものの今度はその重要なマッチでネリがなんと体重オ
ーバーを犯したのである。
山中は試合を拒むことも出来たが続行するも結局2RにTKO負けを喫して引退を余儀
なくされた。2018年3月のことである。
現在ネリはスーパーバンタム級に階級を上げなおも暗躍しているので井上と土俵が同じ
なのだ。
そこでこの悪童を井上のパンチでマットに沈めてもらい山中に見せた蛮行の仇を取って
ほしいと願うのである。
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