【スペースフュージョン】異世界へと誘う不思議な2時間 FM東京伝説の番組 [音楽]
先日(と言ってももうかなり日数が経過してしまいましたが)SSブログ音楽部門で誉れ高き
lequicheさんのある記事にコメントしたことがきっかけで45年も前にFM東京(現TOKYO
FM)で放送されていた標題の番組を思い出したのですが、以来気になりだしたら私のアタマ
の中から離れなくなり居ても立ってもいられない状態が続いているので、ブログで取り上げ
てスッキリしたいと思います。
〔老人の戯言ですので関心が薄いお方はスルーして戴けたら、と思います。〕
【スペースフュージョン】 放送期間 1979年5月~1980年6月
放送時間 毎週土曜日 深夜3時~5時
ラジオの深夜放送が華やかなりし1970~80年代
しかしそれはあくまでも民放の番組でありFM局では午前0時スタートの【ジェットストリ
ーム】を皮切りに静かで落ち着いた番組で構成されていた印象しか残っていません。
そんな中ひときわ異彩を放っていたのが当番組でした。
妖艶なハスキーボイスでギリシャ神話を語る北玲子さんのナレーションが夜のしじまに静
かに響き渡り、BGMで流れる曲は公共の電波放送ではおよそ耳にしたことのない、マニア
ックな輸入レコード専門店の片隅に眠っているような日本未発売の音楽が多かったという
至って不思議な番組でした。
私がそもそも聴き出したきっかけは番組名にある<フュージョン>というキーワード。
その<フュージョン>なる単語は端折った解説をするならば70年代初頭にカテゴライズ
されていた<ジャズロック>や<ソウルミュージック>それに<ディスコサウンド>など
が融合して<クロスオーバー>なる音楽カテゴリーが70年代中盤に誕生、さらにそれが
アップデートされ70年代終盤に<フュージョン>へ進化したものと言えます。(私見です)
私自身はソウルミュージックにハマりだしてからその流れでフュージョンにたどり着いた
というものです。
NHKFMで放送されていた【クロスオーバーイレブン】という番組にも熱を入れて聴いてい
ました。(調べたら【スペースフュージョン】オンエアスタートより半年ほど前の1978
年11月にスタートされたことを確認しました。)
私はこの23時から始まる1時間の番組にもすっかりはまって毎日全曲エアチェックしてそこ
から気に入った曲をピックアップし高音質のカセットテープにダビングして残したりしたも
のです。
ちなみに新聞の読者投稿欄あてこの番組の感想を新聞社に送ったところ掲載されました。
人生最初で最後の体験です。
話を【スペースフュージョン】に戻します。
【クロスオーバーイレブン】同様にクロスオーバーから進化を遂げたフュージョンミュージ
ックを専門に取り上げる番組かと期待して聴きだしたのものの音楽の内容ではやや空振りし
ましたが、ユーロロックとかプログレなどを聴くことができたので自分にとって新境地を開
拓できたことと、それに何といっても北玲子さんの圧倒的に独特の雰囲気を持った語り口に
魔法をかけられたかの如く惹きつけられてしまいました。
と言うことで45年も前のしかも一般市民が深い眠りについているとんでもない時間帯に
ひっそりと放送されていた番組について取り上げましたが、実は世の中にこの番組のマニア
ックなファンがけっこうな数で存在していることは自分自身随分前から把握していました。
何年か前にはオフ会が東京で開催されていることも承知していましたが、その頃は地方在住
だったためおとなしく見届けていました。
東京に戻っている今、機会あらば顔を出してみたいものです。
しかしこの歳になってこんな超マイナーな番組に思いを馳せている同志が世の中いる、とい
うことを認識するだけで嬉しさが込み上げ、だんだんと残り少なくなりつつある自分の人生
をこれからも生き抜く中で勇気を与えてくれたような思いと幸福感が満たされとてもハッピ
ーな気分に浸れています。
改めてネット上のSNSやYOUTUBEに感謝と敬意を表します。
*画像はネットから見つけたもので著者の方からお申し出を受けた場合ご指示に従います
のでご一報いただけましたら幸いです。
第2回〔アナログyummy〕に参加して [音楽]
高円寺の音楽カフェ<yummy>でお店所蔵のレコードをじっくりと聴かせてもらえる
イベント〔アナログyummy〕開催のことをマスターの羽根さんから教わったのは第1
回開催直後にお店に寄ったときでした。
隔週の木曜日18時から1時間ごとにマスターチョイスのレコードをかけてくれる、と
いう企画で、何のレコードがかかるかは聴いてのお楽しみ・・ということで。
いやあそんな貴重な情報、やっぱり出かけてみないと巡り合えないものだなあと、犬も
歩けばなんとやら、ワタシは亥ですがね。
で、先日の木曜日、その第2回企画に期待に胸を膨らませて参加してきました。
いつもなら定時に職場を切り上げればオープンに間に合うところですがこの日はたまたま
仕事絡みで飲食のスケジュールが入ってしまったのです。
なので最初の時間から聴くことは叶わなかったのですが、おかげでワタシの体内には適度
にアルコールが注入された状態でお店に到着したこともあり、却って音楽を聴き入る感度
はヒアウイゴーとなっていました。
そしてここの夏野菜カレーの大ファンなのでそれプラス飲み物は主治医から節酒指示を受
けている手前ジンジャーエールをオーダーしようと思ってママさんに声をかけようとした
とき目の前に立てかけられていた可愛げなミニサイズの看板のメニュー表が目に留まり、
そこで思わずハッとしてしまったのです。
≪ブルーチーズとクルミ いちじくとクラッカー≫
これは先達てこのお店で行ったぼんぼちさんやRchooseさんお誕生会のときに提供され
た絶句状態になるほど美味しかったデザートのケーキと材料がほぼいっしょじゃあない
ですか!
それに≪チーズリゾット入りライスコロッケ≫も相当気になります。
なのでこの2品に決まり!そしてこれらのメニューに合う飲み物と言えばやっぱり赤ワ
イン。
主治医さんごめんなさいまた約束を反故にしてシマイマス・・・自分のカラダへ、ちょっと許せ。
このように揃いました。なおここで特筆すべきは一番左の器にある付け合わせです。
これはなんとぼんぼちさんがお店に提供されたさいころチーズ入りはっさくのマーマ
レード。ぼんぼちさん、ママさんのご厚意でご相伴にあずからさせていただきます。
さあ20時を迎えマスターがレコードのセットに動き出します、何がかかるのか・・・
はたして<ジャコ・パストリアス>のソロ2枚目のアルバム<ワード・オブ・マウス>
でした。
<ジャコ・パストリアス>と言えば天才と崇められたジャズベーシスト。
今から30年以上も前に残念ながら30代でお亡くなりになりましたが。
でもなぜマスターがジャコのアルバムをチョイスされたのかは・・
実はマスターご自身もミュージシャンでベース奏者なんです。
スピーカーの横には立派な楽器も飾られています、いえときどき演奏もされています。
ところでいつもyummyにひとりで訪れるときはカウンターに座らせてもらいますが、この
日はカウンターがいっぱいだったのでスピーカー前の4人テーブル席をママさんが案内して
くれたのでひとりでこのベストポジションを占領してしまいました。
特等席でyummyなブルーチーズやはっさくのマーマレード載せのクッキーを食
べつつ赤ワインを飲んでアキュフューズのレコードプレーヤーやノーチラスのスピーカー
が紡ぎ出すあたたかくも迫力満点の音楽を聴き入る・・ワタシにとってこれ以上の贅沢はこ
の世に存在しません。
ということであっという間に片面の演奏が終了しました。
この後のBGMは一転して70年代のユーミンCD、普段のデジタルyummyですね。
マスターはほかのお客さんも多数聴きに来ているのにワタシの嗜好を把握してくれていてこ
のどまんなかのCDをチョイスしてくれているのでしょう、きっと。
なにしろお客がワタシひとりのときは口角泡を飛ばしてユーミン談議を繰り広げてしまうく
らいなのですから。
さあ、次の21時からは何をかけてくれるのか・・期待に胸が高まります。
予告ではフュージョン特集をする予定ですよ~、と言っておられたのでワタシ自身ジャンル
としてはフュージョンがもっとも好みなだけにけっこう期待してやってきたわけでもありま
して。
その期待を裏切らず「トリ」を務めたのはやっぱりというか当然このアルバム
<リターン・トゥ・フォーエバー/チック・コリア>
B面の<サムタイムアゴー~ラフィエスタ>演奏時間23'13” の始まりです。
目をつむって鑑賞するとチック・コリアクインテットが舞台で演奏している姿が浮かび
上がってきます。
最初のサムタイムアゴーはチック・コリアの軽快な中にも寂しげなメロデイを電子ピア
ノで奏でる音で始まり、それは舞台左側から聞こえてくる。
続いてスタンリー・クラークの重厚なウッドベースの低音が右サイドから電子ピアノの
メロディに絡むように聞こえてくる。
それからアイアート・モレイラのパーカスやドラムも左サイドから聞こえてきてチック
・コリアのピアノに加勢をかける。
負けじとジョー・ファレルが右サイドからフルートで参戦してベースをバックアップ。
ここでフローラ・プリム(のちにアイアート・モレイラと家庭を持つ)のキュートな中
にもミステリアスな歌声が舞台真ん中から響いてくる。
ボーカルは長く続かずピアノ、フルート、ドラムスの競演がしばらくなされた後やがて
後半のラフィエスタへ演奏は突入してゆく。
このパートではスタンリー・クラークはソプラノサックスに持ち替えて応戦。
ボーカルなしで10分に及ぶピアノ、サックス、ベース、ドラムスの一体感の演奏が真骨
頂となりあっという間に23'13"の演奏は終了となります。
演奏が終わった瞬間ワタシは自然と拍手をしてしまいました。(ひとりだけでしたが)
こんな感じで我が耳と舌にご褒美を与えたことにより最近ガタが来まくっているワタシの
脳をはじめ五体が潤って故障防止に役立ったものと思われます。
次回もまた待ち遠しいです。
<7月19日 追記>2011年11月2日拙ブログ『RTFコンサート視聴記事』を
リンクします。(12年も前かぁ、と感慨にふけってしまいます)
ユーミンからJUJUへ受け継がれる♫ ままならない恋♫ [音楽]
今朝の某三大紙朝刊エンタメ欄に「そしてユーミンへの手紙」と題してユーミンの曲に
絞ったカバーアルバムをJUJUが発売することが取り上げられていたのを大変興味深く
読ませてもらった。
いっぽう数日前のこと、たまたまNHKの人気音楽番組〔SONGS〕を観ていたらユーミン
夫妻とJUJUがコラボで出演されてこのカバーアルバムを紹介していたのでこちらも釘づ
けとなって見入ってしまった。
この二つの情報に立て続けに出会ったことは、筆が鈍っていた拙ブログに対してこのこと
を取り上げるべし、との神の思しなのだと強く感じたのである。
そこであまたのユーミンマニアやJUJUファンを差し置いてユーミンの80年代前半作まで
の曲への造詣の深さにそれなりの自負は持つものの本人コンサートには一度も足を運んだ
ことのない程度の月並みなユーミンファンのおやじが大変僭越ではあるが3月16日に発売
のJUJU「ユーミンをめぐる物語」についてつづらせていただくこととする。
1.A HAPPY NEW YEAR
2.守ってあげたい
3.ダイデライオン~遅咲きのたんぽぽ
4.卒業写真
5.真珠のピアス
6.影になって
7.街角のペシミスト
8.鍵穴
9.TYPHOON
10. リフレインが叫んでる
11. DESTINY
12. 雨の街を
13. ひこうき雲
これらが「ユーミンをめぐる物語」に収録されている曲目一覧で<8.鍵穴>が本アルバム
でのオリジナル曲である以外すべてユーミンのカバーである。
そしてこの選曲は私にとってほぼドストライクなのだ。
朝刊記事や〔SONGS〕の内容から察するにこれらの曲はJUJU自らが愛するものをそろ
えたのだろう。
私はJUJUについてはあまり詳細を知りえていない。
しかしJUJUはユーミンを敬愛する多くのミュージシャンの中でもかなり重症なユーミン
崇拝者のようである。
番組中JUJUはユーミンのことを『御大(おんたい)』と呼称していたことからその崇拝度
合いが窺える。
朝刊の記事ではJUJUの作品の根幹には「ままならない恋」が存在すると解説している。
確かに選曲された12曲にはいずれも「ままならない恋」が通底しているように思える。
ユーミンの作品にはモテ男といじらしい女性のコントラストを表現した詞に秀逸なもの
が多いと感じるのだがその代表とも言える2作品が〔SONGS〕でかかっていたのである。
<真珠のピアス>
♫Broken Heart 最後の夜明け 彼のベッドの下に 片方捨てた 真珠のピアス~~
もうすぐかわいいあの人と 引っ越しするとき気づくでしょう・・・♫
<DESTINY>
♫~~冷たくされて いつかはみかえすつもりだった それからどこへ行くにも
着飾っていたのに どうしてなの 今日にかぎって 安いサンダルをはいていた
今日わかった 空しいこと 結ばれぬ悲しいDESTINY♫
私は個人的にこの2曲と「ユーミンをめぐる物語」には収録されていないが、アルバム
<流線形'80>に収められている<埠頭を渡る風>をユーミンの失恋三大作品と勝手に定
めてユーミンの数ある曲の中でもとりわけ好んで聴いている。
なので<埠頭を渡る風>が「ユーミンをめぐる物語」に含まれていないのは残念であ
るが三大作品中二作品が収録されていてかつ〔SONGS〕でもチョイスされていたこ
とに自画自賛したのは言うまでもない笑(そしてブログでも自慢している失笑)
JUJUは子どものころ親に内緒で夜更かしして聴いていた深夜放送で「ユーミン20作目
のアルバム発売前に過去のアルバムを流す」という企画で色々な曲と出会ったとされて
いる。
調べてみるとJUJUは1976年生まれ、またユーミン20作目のアルバムはwikiによれば
1988年11月発売の<Delight Slight Light KISS>となっている。
ベストアルバムをカウントに含めたら1986年11月発売の<ALARM ā la mode>が
20作目にあたる。
いっぽう「ユーミンをめぐる物語」の12曲(<8.鍵穴>はオリジナル曲である)がユ
ーミンのどのアルバムに属しているのかを探ってみた。
・ひこうき雲 73年11月発売 2曲
・COBALT HOUR 75年6月発売 1曲
・悲しいほどお天気 79年12月発売 2曲
・昨晩お会いしましょう 81年11月発売 3曲
・PEARL PIERCE 82年6月発売 1曲
・VOYAGER 83年12月発売 2曲
・Delight Slight Light KISS 88年11月発売 1曲
これで明らかに傾向がつかめた。年代からしてJUJUが深夜放送の企画で流したと思わ
れる曲に偏って収録されていることとなるのだ。
ユーミンのアルバムは1988年以降も20作品近く発売されているにも拘わらずである。
ちなみに私は1984年12月発売<NOSIDE>を最後に以降のアルバムは興味が薄れて
行った。今振り返るとそれがなぜかはよくわからないが社会人として2~3年目で日々
の多忙さに埋没して流行を追う時間と気力が忙殺されたのかもしれない。
しかしながらその当時でも過去のユーミンソングは聞きまくっていたのでいまだに
<NOSIDE>までのほぼ全曲を記憶にとどめかつ好んで聴くのである。
だからこそこのアルバムの選曲が私のドストライクであるのだ。
妄言を吐くならDelight・・・に収められている<リフレインが叫んでいる>と<埠頭を
渡る風>を交換してほしかった・・・
なお当然のことながらCD「ユーミンをめぐる物語」をポチしたのであった。
3月16日が待ち遠しい。
上奥まいこLive【香辛子(こうがらし)ソング】熱唱 [音楽]
12月18日(土)上奥まい子 ライブ 於)中目黒/FJ'sへ行ってまいりました。
上奥まい子さんの東京でのライブはFJ'sでの公演がここ最近では定番。
FJ'sは東急東横線中目黒駅と祐天寺駅のほぼ中間あたりの駒沢通り沿いに佇むとても
おしゃれなライブカフェです。
さてこの日はワタシの中でマイブームと化して白熱している新種野菜〔香辛子(こうが
らし)〕が歌詞に登場するまい子さんの新曲【がんばり野菜】が聴けることをとても楽
しみにしてやってまいったのです。
まい子さんはソロのボーカリストです、が
いつでも音楽プロデューサー兼ピアニスト兼ボーカリストの伊藤心太郎さんの強力なる
サポートを受けています。
更には昭和世代に絶大なる人気を博した伝説のバンド<ハウンドドッグ>のギタリスト
<八島順一>さんも(予定通り笑)飛び入り参加して還暦をとうに越したとは思えぬ若々
しいギターソロを披露。
ファミリーで聴きに来ていたレンレン(御年5歳)もカッコイイと思わずラブコール。
のみならず、ロックシンガーYASSさんやまい子さん故郷長崎の後輩シンガーCozue
(こずえ)さんもジョインのカオス状態。
右隅はウッドベースの音色が渋すぎる田辺トシノさんということで総勢6名の方々で
の舞台狭しでのお開きでした。
いやあ久しぶりの盛り上がりを体感できた数時間でした、やっぱりライブは最高。
JAセレサ川崎【がんばり野菜】CD、売り上げに貢献させていただきました。
子ども向けなのでイラストがかわいいのです。
ジャケットのみならず中身もかわいかったのでした。
おまけに<がんばり野菜マスク>が付いてきました。
孫へのプレゼントができました、でも1枚しか無いのでケンカになりそうw
CD2枚買えばよかった、と後悔。
ちなみにFJ's(個人的)イチオシメニューのハーフ&ハーフカレー。
チキンとひよこ豆という1粒で2度楽しめるメニューです。
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最後にうんちくを垂れて締めさせていただきます。
店名/FJ'sの由来について
音楽家として名を馳せた<深町純>氏が創設したので頭文字からこのネーミング
としたものだそうです。
深町純氏は10年ほど前に他界されてしまいましたが氏の遺志を受け継いで今なお
ライブバーとして活躍し今日に至っております。
設置されているアコースティックピアノはスタインウエイではなくヤマハのよう
ですが、ワタシごとき凡人の耳では残念ながら先月聴いたスタインウエイとの音
色の違いがよく解らずただただライブの素晴らしい音色に浸っていたのでありま
した。
木目調と黒塗り2台の〈スタインウエイ〉でライブ鑑賞 [音楽]
新型コロナウイルスの猛威が沈静化し、緊急事態宣言解除からも2か月近くが経過。
街中も活気が戻ってきた状況下、高円寺の音楽カフェyummyで不定期に開催されて
きた『サブトーンの会』のライブが11月9日、実に久ぶりに行われたので聴きに行って
きました。
*サブトーンの会・・サックスでしゃがれた音を出す演奏方法をサブトーンと言いその
音を出して演奏することにより廃れつつあるサブトーンの普及に努めるべく2本のテ
ナーとピアノという異色トリオの演奏グループ→yummyとサブトーンの会
ところが今回はいつも行われるyummyの店舗内でなく都内某所でやりますよ、と企画
したyummyママさんからの案内を受けたのです。
しかも特筆すべきは演奏で使われるピアノが2台の〈スタインウェイ〉ということなの
です。
ワタシは楽器に対して特にこだわるわけでも造詣が深いわけでもないので、ママさんか
ら〈スタインウェイ〉と説明されても聞いたこともなかったのであまりピンと来なかっ
たのですが〔限定10名〕の〔限定〕というフレーズにすぐ反応してしまうので会費は
いつもの投げ銭でなくかなりお高かったのですが間髪入れず申し込んだのです。
すると申し込んだ後にテレビで『ショパンピアノコンクール』のニュースにおいて日本
人奏者が2位と4位に入賞されたことが報道されましたが、その演奏で使用されたピアノ
が〈スタインウェイ〉であることを知りなんとタイムリーな、とミーハーなワタシとし
ては期待度がマックスに跳ね上がりました。苦笑
某会場です。
2台のピアノでの演奏の意味をよく理解していなかったのですが、演奏スケジュール
はいつも通り前後半であるものの前半と後半で別々の〈スタインウェイ〉を奏でると
いうことでした。
まずこちらは前半の〈スタインウェイ〉。
なんと木目調のピアノです。
こんな色合いのピアノは人生で初めてお目にかかりました。
解説によると110年前にドイツハンブルグで製作されたそうです。
近づいて見てみたのですが、なんだか美術品のような品格が漂っていました。
奏者のFUMINさんによると音の濁りが無くまた低音の響きがまったく違う、と。
ワタシの耳では高音がクリアでかつ迫力ある音に聴こえたのですが、ワタシごとき
素人の耳はあてにならないのでプロの方のご意見を尊重したいと思います。
こちらは後半の演奏で奏でたオーソドックスな黒塗りのピアノです。
80年前のニューヨーク作だそうです。
同じくFUMINさんの感想ではきらめき感があり、また鍵盤のレスポンスが全然違う、
とおっしゃっておりました。
いつもはyummyの店内にあるアップライトピアノでの演奏でしたが、本日は極上の
グランドピアノでしかも前半と後半で2台を使い分けての豪華なライブ、鈍感なワタ
シの耳でも明らかにいつもとは音の迫力や音感の透明度みたいなものに違いが感じら
れ、より一層のセレブ感を味わうことが出来たのでした。
もちろんこのライブはネーミングが示す通り2本のテナーサックスから繰り出される
『サブトーン』が主役ですし、また本日の会場がとてもシックな雰囲気を醸し出し
ていたこともつけ加えておきます。
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それからつい先日のNHK人気テレビ番組『チコちゃんに叱られる』で「どうして
ピアノは黒塗りなのか」というテーマを取り上げていたのもワタシにとっては実に
タイムリーでした。
ピアノの発祥とされるヨーロッパではもともと木目調のものばかりだったそうです。
それが日本にこの楽器が上陸して普及してゆく過程においてヨーロッパと比較して
圧倒的に湿度の高い我が国では湿気による音の変質防止のため表面に漆(うるし)を
塗ることで対策を立てたそうです。
また当時は赤や黒の顔料を漆に混ぜたのですが軽薄な赤よりは重厚な黒のほうが
ピアノの外観にはよりしっくりくるということだったのでしょうね。
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いやはやワタシとしてはこの1か月で〈スタインウエイ〉という楽器を知ることが
出来たばかりか黒塗りのピアノが普及した原点が日本にあった、という雑学まで学ん
だこととなり知らなくても生きて行けるうんちくがまたひとつふたつと増えて満足す
るのでした。(ただしその間に生き行く上で重要なことをその100倍くらい忘れ去って
いるという寒い事実が存在するのですが爆)
“がんばり野菜”の「こうがらし」 [音楽]
まず言い訳から入る。
理由は後で触れるが記事にするタイミングを1か月逸してしまったのである。
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8月31日は〔野菜の日〕だったそうだ。
なんでも昭和58年に全国青果物商業協同組合連合会などが定めたとのことである。
〔○○の日〕というのはきょうび五万と存在するので、この日が野菜の日であったこと
は生産農家など関係者以外にはあまり知られていないのではないか、と思う。
しかし賢明なブロガーである諸兄ならご存じなかったとしてもなぜこの日を野菜の
日と定めたのかすぐに察するところだろう・・・・
ことばで「野菜」を発音をしてみる、やさい→や(8)さ(3)い(1)という訳だ。
◇ ◇ ◇ ◇
私が6年越しで応援している歌手の<上奥まいこ>さんは出身地の長崎と東京および
首都圏で精力的に活動しているシンガーソングライターだが、この8月31日に新曲を
発表された。
それがタイトルに掲げた“がんばり野菜”である。
〔JAセレサ川崎〕が<上奥まいこさん>(作詞)とAKB48で大ヒットした“恋するフォ
ーチューンクッキー”の作者として知られる<伊藤心太郎さん>(作曲)に依頼して
作り上げられたものだ。
縁あって現在川崎市に住まわれているまいこさんにセレサ川崎の組合長からのオファ
ーがあり、そこでまいこさんが川崎市の野菜についての特長を勉強したうえで作詞を
手がけ、まいこさんのサウンドプロデューサーを担う心太郎さんが作曲を担当した
ことにより完成に至ったそうである。
お聴きの通り“がんばり野菜”は子ども向けの明るく楽しい楽曲であるが、これはまい
こさんが最も得意とする分野なのである。
というのも2年前に移転により新たなスタートを切った故郷長崎県の<外海(そとめ)中
学校>の校歌を心太郎さんとのコンビで作り上げた実績者でもあるからだ。
さて歌詞の中でアスパラガスやキャベツなどおなじみの野菜が歌われているが、一部
聞き慣れない名詞が登場したのにお気づきだろうか。
「香辛子(こうがらし)」である。
私は初めてこの歌を聴いたとき「こ」と「と」を聴き間違えたものと思っていた。
しかし動画に歌詞が映し出されているので文字を追ってみると「こうがらし」となって
いる。
これはミスプリではないだろうか・・・
気になったので当のまいこさんに尋ねてみたらミスプリでもなんでもなく「こうがらし」
という新たに川崎で誕生した野菜なのだそうである。
すかさずネットでも検索してみた。
『華やかな色彩とフルーティな香りを特徴とするかわさき生まれの燃焼系野菜』と解説
されていた。
『食』に対しての好奇心は人一倍強いほうなのですぐにでも現物を手に入れたくなった。
そこで「こうがらし」を販売しているとされる〔JAセレサモス・宮前店〕を訪れてみた
のだがその日は残念ながら入荷されていなかった。
今が旬らしいのになぜ入荷されていないのかお店の人に聞いてみたのだが天候不順だか
らだろうとのこと。
きっと開発されたばかりなのだから生育がナーバスなのかも知れない。
〔JAセレサモス・宮前店〕は決して近所ではないので頻繁に訪れることは出来ないが
粘り強く訪問して私にとってこの未知の野菜「こうがらし」をはやく体験したみたい。
ということで本来「こうがらし体験記」としてアップするつもりでいたのだが、もう
1か月が経過しようとしているもののそれが実現に至っていないため中途半端ではあるが
まずはこの謎に包まれた新種の野菜についての情宣として発信させて頂く。
また加えて上奥まいこの新曲“がんばり野菜”のプロモートとしても。
なお蛇足になるが〔JAセレサ川崎・宮前店〕を訪れた時「こうがらし」に振られて手ぶら
で帰るのも何だったので、とうがらしコーナーに陳列されていたやはり見慣れない野菜
「むらさきししとう」を買ってみた。
シシトウはシンプルにフライパンで炒ったものに味噌をつけて食しているのだが、この
むらさきししとうも同様にして食したところ味がマイルドでとても食べやすかった。
ますます「こうがらし」への想像が膨らみ期待が高まるのであった。
鍵盤のファンタジスタ、天空へ旅立つ [音楽]
あまりにも唐突でした。
米国のジャズピアニストで巨匠として名高いチック・コリアが2月9日に死去(享年
79歳)という情報が昨日(2月12日)舞い込んできました。
死因は「がん」とのことですが突然入ってきたニュースにワタシとしては最も敬愛
するアーチストのひとりであったため深い悲しみに包まれています。
思えば2月7日にミュージックカフェ(と敢えて呼称します)高円寺・yummyへ
年が明けてから初めて訪れたのですが、これはチック・コリア氏の導きがあったの
ではないかと今ふり返ってみて勝手に考えております。
そもそもは先日テレビのワイドショーで『緊急事態宣言下で頑張っている飲食店』と
して『私語禁止』を掲げて取り組んでおられる姿が取り上げられていたので冷やかし
に、もとい称えに行ってみようと思ったのです。
yummyはノーチラス&アキフューズのオーデイオ機器を備えているので元々マニア
からは垂涎ものでした。
なので音楽をじっくり鑑賞したいお客様には『私語禁止』は願ってもないシステム
なのです。
実際ワタシもお昼過ぎに訪れたのですが、その時居合わせた数名のお客は一切言葉を
発せず飲食しながら真に音楽を楽しんでいる様子でした。
そしてひっくり返りそうなほど驚いたのはレコードから流れてくる音のクオリティ
が格段に向上していると感じたことです。
もちろん『私語禁止』としている故以前よりもかなりボリュームをアップしてかけて
いることも一因でしょう。
また最近レコード針を折ってしまったので最高級品に買い替えた、という出来事を
yummyがSNSで発信していたのを知っていたのでその辺りもワタシとしては期待
したのです。
しかしそれだけではなく更なる音響効果アップのためマスターが店内壁面や天井に
吸音材を取りつけたそうです。
こうしてかつてのジャズ喫茶を彷彿させるような音楽のシャワーを浴びながらワタシ
は冬季限定かつyummyオリジナルの<ゆずホットワイン>をゆっくりと嗜ませて戴き
ました。
BGMはと言うとモダンジャズの4ビートを刻む心地よい演奏が終わり、次はどんな曲
がかかるのかな、とワクワクしていたら<チック・コリア/サムタイムアゴー~ラ・
フィエスタ>でした。マスターがワタシの好みを把握していてかけてくれたのです。
目をつむって鑑賞していると頭の中で華奢にして機敏なチック・コリアのピアノや
大柄で一見ぶっきらぼうな印象のスタンリー・クラークのウッドッドベースによる
演奏が浮かんできます。
もう9年も経つのかな、名古屋で単身生活を送っていたとき、チック・コリア来日
の情報を受け平日の夜でしたが残業を乗り越えて聴きに行ったのが昨日のことの
ように思い出されます。
このときチック・コリアは既に70歳の大台を迎えていたにも拘わらずダイナミック
な演奏を繰り広げてくれたのがとても印象に残っているのです。
それと、もう4年以上も前になりますがテレビのBS放送でチック・コリアの75歳を
祝うためもうひとりの巨匠ピアニスト=ハービー・ハンコックが駆けつけデュオで演奏
するという番組が放映されたのをワタシは録画して残しておいたので追悼の意を込めて
改めて視聴してみました。
ニューヨークのブルーノートにおいてデュオで演奏。
チックの指は細く長く繊細な感じでいかにも名ピアニスト然としています。
対するハービーの指は対照的で力強くてエネルギッシュさが感じられます。
顔立ちはラテン系ですが生まれはアメリカ・マサチューセッツ州。
68年チック27歳のときマイルス・デイビスのバンドに参加、頭角を表す。
マイルスの指示でもあったがいち早く電子ピアノを駆使。
71年にマイルスバンドから脱退し「リターン・トゥ・フォーエヴァー」立ち上げ。
1978年 盟友ハービーとのデュオ発表、ハービーとは50年来の親友かつライバル。
チックより1歳年上のハービー・ハンコックはさぞ悲しんでいることでしょうが、
われわれ音楽ファンとしてはぜひともハービーにはこれからもまだまだ健在で
過ごして戴き引き続き素晴らしい演奏を紡いでもらいたいと願うばかりです。
合掌
わがミュージックライフ最愛の演奏曲との出会いからの日曜大工 [音楽]
すっかりご無沙汰をしてしまいました。
実はとある記事の執筆に伴い写真よりも自分で作成する資料の方が読んでいただ
ける皆さんに解りやすいだろうと思いITリテラシーが低いにも拘わらずエクセル
データを作成してみたのです。
一応自分のイメージ通りに仕上がったのですが、記事に貼り付けて閲覧してみると
どうも表示がずれてしまう、なので元データの方をずらして調整を図ったのですが
ワタシの技術では限界でしたし、その作業で疲れ果て記事アップのモチベーション
が奈落の底に落下してしまいました。
予定した記事は諦めて心機一転、先週のシルバーウイークでの行動を綴りたいと思い
ますのでお付き合いいただけましたら幸いです。
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そもそもは仲間がSNS上にリンクでアップしたライブ動画とそのコメントがきっ
かけとなりました。
1978年3月16日、中野サンプラザホールでの<クルセイダース>の演奏で
曲名は<チェインリアクション>
SNSへアップした本人はこのライブを中野サンプラザでリアルで聴いたという
ことなので垂涎ものです。
というのもワタシはまったく偶然にもFM番組でかかったこのライブ音源をカセ
ットテープにエアチェックしておりました。
その録音作業もこの曲を明確に目的としていたわけではなく<クルセイダース>
というバンドに興味を持ち始めたころで手始めに聴いてみたというレベルです。
それまで自分の音楽嗜好はリズム&ブルースやソウルミュージックが主流でした
がこのライブ演奏を聴いたことがきっかけでジャズ・フュージョン(当時はクロス
オーバーと言われていました)への造詣を深めていったのです。
しかしユーチューブに収められている演奏はワタシがエアチェックした演奏と
比較すると一部に過ぎなかったのです。
それはイントロの6分近くにも及ぶギターソロが割愛されているので。
そこで無性にカセットに録音されている演奏を聴きたくなったのですが、カセット
テープをいろんな場所に保管して(というか詰め込んで)いる状態なので探すのには
かなり時間を要することになる・・
でもそのときが4連休の初日でした。よし時間はまだまだたくさんある、と覚悟を
決めてまずすべてのテープをひとところに集めて捜索を開始しました。
これは程なく探し出せたのです。
なのですかさず13分にも及ぶライブ録音をカセットデッキで久しぶりに聴いてみ
て一人悦に入ったのでした。
(単身時代にはときどき聴いていたので7~8年ぶりくらいか・・・)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さてこのいきさつを披露したからには自分の音楽ジャンル愛聴の変遷を語りたいと
ころですがそれはまた別の機会に譲る事として、ここから先は手元に溢れんばかり
に散乱したカセットテープをどのように収束させたかについて綴ってゆきます。
おおよそのカセットテープはCDラックに収めていたのですが、それは聴いて愉しむ、
というレベルではなく単なる保管、という状態でした。
かつてはカセットテープ専用ラックに収めていたのですが、ベニヤで作られた安物
だったため何回かの引っ越し作業の末破損しお釈迦になったので東京に戻ってきた
ときにむりくりCDラックに放り込んで所せましと重ねた状態で保管したのでした。
その後近所のホームセンターでカセットテープ用のラックを随分と探したのですが
どこにも陳列されていません。(売れそうもないので当然でしょうねw)
そこで無い頭をひねらせた結果CDラックの各段に仕切り板をつけて1段から2段に
増やすことにより今までの2倍の本数のテープを収めることができることで整理を
進めようと考えだしていざ材料探しに走りました。
(2段にするとしても2段とも縦だと寸法不足なので1段は横にして保管する)
この写真が示す通り空間は10mmほどの余裕しか有していないのでせいぜい5mm
程度の薄い板を調達する必要があることを認識したのですが、近所のホームセンタ
ーだと厚手の板しか陳列されていません。
そこでネット検索したら中野に売場面積がかなり大きめな『島忠』を発見したので
早速チャリを飛ばして訪ねてみました。
(横の道は車でときどき通過しておりましたが気づきませんでしたw)
狙い通りアイテムがとても充実しておりましてちょうど目指すサイズも入手
できました。
自宅で宝の持ち腐れと化していたDIYツール。
『島忠』で調達した板材からラックのサイズを測って鋸で切り落とし。
釘を打ち付ける箇所を鉛筆でマーキングした後に錐(キリ)で穴あけ。
これが少しでもずれるとカセットテープが収まらなくなるので最も神経を使って
慎重に作業。
まずは一段分の作業終了。
同じ作業を5回繰り返して仕上がりました。
散乱していたカセットテープを音楽ジャンル別に整理して収めました。
ということで連休中ちょこちょこと用事をこなしながら合間の時間を使って
どうにか日曜大工の作業を終わらせることが出来ました。
最近はもっぱらユーチューブのお世話になっていましたが、これからはこれ
らのテープをときどき聴いてオールディーズを懐かしみたいと思います。
(最近ブームと言われている昭和歌謡もありますよ~)
<地上の星>伝説のNHK紅白LIVE映像が再現~あのハプニングが再び… [音楽]
NHKの音楽番組『うたコン』は毎週複数のアーチストたちが出演し、ライブで
歌唱を披露してくれていましたが、コロナ禍の影響でライブの形式は残している
ものの視聴者からのリクエストなども踏まえて過去の名シーンを放映してくれる
方式に差し替えられているので逆にこんなときだからこそ思いも寄らぬ懐かしの
名場面に遭遇する機会が増えています。
先日の蔵出しはなんとなんと中島みゆきさんが紅白に出場して唄われた<地上の星>
でした。
2002年12月31日に放映されたこのシーンを皆さんはご覧になられていましたか?
ワタシはこの場面をくっきりと憶えているのです。
というのもNHKの気合の入り方が尋常でなく
このとき初出場となる中島みゆきさんが歌われる場所は、紅白の会場たるNHK
ホールではなく、富山・黒部ダムのトンネル内というとてつもなく常識を逸脱
した企画だったのです。
<地上の星>と言えば名番組として今でも語り継がれている『プロジェクトX~
挑戦者たち~』(注、以下「プロジェクトX」に略します)の主題歌です。
そのご縁によりそれまで紅白歌合戦に出場が叶わなかった最後の超大物エンター
ティナーのひとりと数えられていた中島みゆきさんの出場が決まったのでしょう。
いっぽう『プロジェクトX』ですが、日本の高度経済成長期を支えた商品などの
知られざるエピソードをドラマチックにドキュメントタッチで取材した人気番組
でしたが、調べたら今からもう15年も前に番組は終了しているのですね。
(蛇足となりますが、やらせ問題が発覚して打ち切りとなってしまいました。
この後継番組が『プロフェッショナル 仕事の流儀』です)
その『プロジェクトX』が取り上げた内容で特に評判の高かったのが「富山・黒部
の黒四ダム建設」であったため初出場の中島みゆきさん自らの提案でこの黒部ダム
から生中継で歌うことになったそうです。
しかしワタシがなぜこのときのライブをくっきりと憶えているかの答えは度肝を抜か
れた黒部ダムのトンネル内での熱唱も確かにインパクトはありましたが、それ以上に
中島みゆきさんが一部歌詞を間違えたため字幕の歌詞と違って放映されたというハプ
ニングが起こったことなのです。
話を『うたコン』に戻します。この日うたコンを視聴していて紅白での<地上の星>
を流します、とMCの谷原章介さんが案内されたとき即座にあのハプニングを再現する
のか・・中島みゆきさんの承諾は取れたのか、と下世話にも心配しながら俄然野次馬
根性丸出しとなって見入りました。もちろんアイフォンで録画もしましたよ。
そして問題の場面に差し掛かった時・・・ひょっとして映像を飛ばすかな、とも考え
たのですがそのまま放映。ところがそのシーンではこちらが考えもしなかったテク
ニックでこのハプニングを切り抜けていました。
それは中島みゆきさんが間違えて歌った歌詞に字幕を合わせたのです。
♪名だたるものを追って輝くものを追って人は氷ばかり掴む を一番と同様に
♪(地上)にある星を誰も覚えていない人は空ばかり見てる と歌われたのでその
歌詞に差し替わっていました、お見事パチパチ。
いっぽう中島みゆきさんの姿に着目すると、アタマ出しが飛んで「地上」が無言になった
部分が少しだけ不自然に聞こえる以外顔色一つ変えずにこやかに熱唱する姿は百戦錬磨
のプロの風格が窺えます。
私がしばしば聴きに行くライブバーでボーカリストがユーミンのメジャーソングの歌詞
を一部間違えて歌われると(ユーミンへの敬意を表しているのとご本人の誠実な性格
にも由来しているのでしょうが)「間違えました~」とわざわざ伝えてくれますw
(申し出なければ誰も分からないのにです)
ライブにハプニングはつきものです。
そんなハプニングのまま『うたコン』では紹介してくれることを少しだけ期待しましたが
中島みゆきさん(かその取り巻き)がさすがにそれには首を縦に振らなかったのでしょう
かねえ。
でも当の中島みゆきさんはこの12年後に紅白出場へカムバックするに際し「また何かしで
かさないように頑張って歌わせて頂きます」と謙虚にコメントしているのですね。
ますます応援したくなります。ファイト♪~闘う君の唄を~
~僕は透明の玉座には座らない~車椅子の弾き語り<カトキチLIVE> [音楽]
3年、いや4年前だったか
ひょんなきっかけで知ることとなったブルースシンガー兼アーチストのマチ
ケンさんこと町田謙介さん率いる凸凹トリオ月1回のライブへ地元高田馬場
ライブハウスに通い始めてからしばらく経ったある日のこと。
さほど広くないライブバー、客席テーブルは2卓。
そのうちの1卓は自分の知り合いたちが数名で押し寄せるのでキープした
のだけど、そのときお店のオーナー/キャサリンママからもう1卓はこの
あとお客さんがくるから残しておいてね、と明るく注意を受けた。
そしてほどなくやってきたのは車椅子に載って現れたショートヘアで一見
ちょっとコワモテの人物だった。
その人物こそ後に知ることとなる車椅子の舞踏家カトキチさんだったのだ。
ただカトキチさんとはその後何回かライブで顔を合わせたが特にそれ以上の
関係でもなかった。
あるときのライブ、カトキチさんが帰られる際キャサリンママの号令で手を
貸したことがあった。
ここのライブバーはB1にあるのだがエレベーターがないので昇降は階段。
なので車椅子でお帰りになるカトキチさんをみんなでサポートしたのだ。
それまでは無関心だったけどこのとき一瞬だけ障がい者のハンデについて憂え
たものだ。
しかし気が付くとこの凸凹トリオのライブは月イチから年イチに頻度が落ちて
しまったのでカトキチさんと巡り合うこともなくなっていたのだが、そんな
ある日マチケンさんから実に興味深い報せを受けたのだ。
歌も演奏もトーシローだったカトキチさんがマチケンさんプロデュースのもと
2年間の特訓を重ねてこのたびCDの発売とそれを記念したライブを行うとの
こと。
車椅子での日常生活というハンデを抱えながらボーカルのみならずギターの
演奏までなさるというのだ。しかもわずか2年の歳月で。
大変失礼ながら階段の昇降でさえ人の手を借りねばならない方がどのように
してギターを奏でるのか、若かりしころたかだかFコードの押さえ方で挫折
した自分にとってはマジシャンのパフォーマンスを見るような面持ちでその日
を待った。
そして迎えた2月15日午後8時、会場の三鷹<バイユーゲート> に出かけて
ゆく。
前座にマチケンさんやカトキチさんCDのバックアーチストたちが演奏した。
いつも明るくウィットに富んだMCで人を笑わせるマチケンさんがいつもにも増し
て笑顔に溢れたMCとご機嫌な演奏を披露してくれた。
休憩をはさんでいよいよカトキチさんの出番。
はじめてのソロライブ、緊張に包まれたMCから1曲目に突入。
どんな演奏を繰り広げるのだろうと期待に胸を膨らませて見つめていたらなんと
ギターを下に置いて弾き始めた。
知恵と工夫、それに努力を重ねれば不可能なことも可能にしてしまうものなのだ。
不自由なからだでないにも拘わらずFコードごときで挫折した自分が情けない。
それから演奏ばかりでなくボーカルにも注目。
1曲目はさすがの緊張からかぎこちなかったが、2曲目からはリラックスされて
きたのがこちらの耳を通しても明らかに感じられ、とてもファンキーでソウル
フルな唄声が爆発してこっちの魂もゆさぶられる。
それにカトキチさん自らが書き下ろした詞の内容が秀逸だ!
♬僕は透明の玉座には座らない♬
僕の手のひらには 車輪をつかむあとがある
前に進むための 固く強いあとなんだ
僕の心には 殻に閉じこもってたあとがある
前に進められない 弱くつらいあとなんだ
何もできやしないと
裸の王様みたいに鎮座してた
でもできる、できないとかなんかじゃない
やりたいか、どうかさ
僕は透明の玉座には もう二度と座らない
黄金に輝く夕日に向かって進んでゆく
続く・・
本人の境遇を素直に詞におろした内容にはハンマーで後頭部をガーンと打ち
付けられたがごとき衝撃が走った。
この日披露されたのはCD化された5曲。
でもその中で上掲の『僕は透明の玉座・・』ですら比較にならないほどの強烈な
インパクトを受けたのが『身体障害者用トイレブルース』の歌詞。
これこそ実体験がなければまず思い浮かばないであろう内容であり、かつ放送
禁止に触れそうな箇所も登場する。
ダウンタウンブギウギバンド不朽の名曲ブルース『港のヨーコヨコハマヨコ
スカ』を彷彿とさせるようなセリフがかった展開。
カトキチさんの迫力満点のボーカルが実にマッチしている。
滑舌がよくて表現力に長けたカトキチさんの歌声に惹き込まれ、意図せずとも
自分の頭の中でくっきりと歌詞のひとつひとつが上映されて行ったのだ。
あまりの衝撃に1回聴いたら絶対に忘れられない曲だ。
あっという間の5曲だった。
最後に全面的プロデュースを買って出られたマチケンさんがCD制作中のエビ
デンスとして何十枚というクロッキーを描かれて当日会場で貼りだし、
来場者に無償提供されたのでお言葉に甘えて1枚戴いて帰った。
さすが美大出身の経歴を持つ描いて書ける(ジャンクジャングルキッズなる単行本
を出版している)シンガーである。
次回の公演がとても待ち遠しくなった。