「押しも押されぬ」と「上意下達」 [学問]
前回はALWAYS三丁目の夕日’64の中のセリフにフォーカスを当てて
展開しましたが、言葉つながりで今回は日常誤って使われがちな日本語に
関して取り上げてみます。
数日前NHKテレビで「井原西鶴」を取り上げた歴史番組を観ていた時です。
キャスターの発言に思わず反応してしまいました。
「・・で井原西鶴は『押しも押されぬ』~~」と解説。
おやぁ、押しも押されぬは日本語として誤用で正しくは『押しも押されもせぬ』
のはず。
そしてその後の(多分民放のニュースだったと思うのですが)番組で今度は
アナウンサーが『じょういかたつ』と発言していたのを聞いていて、ありゃ、
「上意下達=じょういげだつ」ではなかったか、と思いどちらもテレビを消した後
調べてみたら1勝1敗でした。
上意下達は日常会話で「げだつ」しか聞いたことがなかったし、私もそのように
使用して誤りを指摘されたことがなかったので、てっきりそちらが正しいと思って
いました。(誤用を気づいていた人がいたのかもですね・・(恥))
またALWAYS三丁目の夕日’64の映画レビューをチェックしていたときのこと。
支持者が最多のレビューははさすがに内容がしっかりしていて、読む人を惹き
つける魅力的な文章だと感じましたが、「的を得た」との表現が登場していました。
処で我が娘は今春大学を卒業して幼稚園の先生になるのですが、先日その
娘から来たメールの一節が「子どもたちの実態が垣間見れた」となっていた
ので、ら抜き言葉の誤用を指摘することと併せて教育のスタート時点たる
幼稚園児たちを指導するのだからしっかりしてほしいと返信したら、ら抜き
言葉は見直されているので、幼児が大人になる頃には変わっていることだ
ろうと、あっけらかんとしていました。
かなり前になりますが、高島俊男さんという文学者が雑誌の「週刊文春」に
「お言葉ですが」という連載記事を書いていた中で印象に残っている一節が
あります。
長嶋茂雄さん語録で、松井選手の調子についての回答として「松井?う~ん、
全然いい!」という使い方の是非を取り上げていたのですが、一般的に全然の
後にくる言葉は否定形だからこの使い方は文法上誤りではないかとの意見が
多い中これは全く誤りではない!と断言していたのです。
明治年代の書物では当然のように全然+肯定形で使われていたのだが何故か
戦後になって全然+否定形があたかも正しい使い方であるように変遷した・・
と解説していたかと記憶しています。
というように、何年かすれば、ら抜き言葉も「押しも押されぬ」も「じょういげだつ」も
み~んな国語辞典に掲載されるようになっているのかも知れませんね。
おまけ:この記事作成のためいくつか調べていたところ、別件で意外な誤用を
知りビックリしてしまいました。
「爆笑」=大勢の人たちでどっと笑うこと、という意味だそうです。
ということはメール用語でしばしば使われる(爆)・・(私も「自分ひとりが爆笑」
という意味でときどき使っておりますが)これは誤用になってしまう訳ですね。
しかしこのようなことに拘りだしたらネット上のスラングが使えなくなってしまい、
リズムに乗った表現が出来ず無味乾燥な文章になってしまう。
自分は国語学者でも新聞記者でもないのであまりこの辺に拘るのはやめよう、
と思った次第。
(って娘にはエラそうに説教して、と突っ込まないでくださいね)