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ビルボード1976年間ヒットチャートとの邂逅 [音楽]
ゴールデンウイークはオフ会で鎌倉に出かけた以外は地味に過ごし、
最終2日はだらだらと部屋の片づけなどを行っておりました。
BGMをかけながらの作業ですが、こういうときには手軽なユーチューブを
利用します。
部屋の片づけと言ってもお宝グッズ発掘も伴った作業なのでBGMには70年代
ポップスで検索をかけたのでした。
然らばワタシにとっては思いもよらぬBGM(音源)に巡り合い感動してしまい
ました。
<ケイシーケイサム トップアメリカン100オブ1976>
* * * * *
自分が中学生だった1972年のこと、民法ラジオ局「ラジオ関東(現ラジオ日本)」
で「全米トップ40」という番組が毎週土曜22時から25時まで放送されて
いまして、ワタシはこの番組にムチャクチャ嵌っておりました。
アメリカビルボード誌のヒットチャートの放送を毎週空輸して最新のヒット
上位40曲を紹介する番組です。
当時でも日本でヒットしている洋楽のベスト10番組はTBSラジオの日曜朝に
放送されていた小島一慶のポップスベスト10やFM東京(現TOKYOFM)
で土曜昼に放送されていたシリアポールのポップスベスト10など、各局で
それなりに放送されていましたが、「全米トップ40」がそれらと決定的に
違うのは日本で発売されていない曲が続々と聴けたことです。
当時は今のように流通が発達していなかったので、チャート下位の方では日本
未発売の曲が多々登場しましたが、チャートが上昇するにつれ日本での発売が
決定しました、と興奮気味にDJの湯川れい子さんが番組の中で紹介するような
ケースも多かったですね。
ワタシとしては72年から聴きだしてから徐々に嵌ってゆき73年にはチャート
をメモするようになりました。
そして74年からは毎週のチャートを大学ノートに記録して、その年の年間ヒット
チャートのうちトップ10を予想するのです。
当時湯川れい子さんや局アナで進行役の坂井隆夫氏が番組内でトップ10の
予想を募り全曲正解の聴取者を派手に取り上げてくれたりしたものですから
こちらとしても熱を上げて独自に得点化したりして予想したのですが、全く
当たらなかったですね。
1976年の年間チャートを記録した大学ノートです。
トップ100とトップ40にランクインした週の合計と第1位を獲得した
週を番組中に坂井隆夫氏が説明してくれるのでそれを曲とアーチストの横に
記載し、一番右側には各週の順位を点数化したものを合計してその曲の
得点として集計し自分の年間チャートを作り上げるのです。
この年の年間第1位はSilly Love Songs(邦題:心のラブソング)by.
Paul MacCartney&Wings でしたが、ワタシの独自集計では第5位、
因みに自分の集計1位は年間第10位の「運命’76」という曲。
1976年と言えばその前年の「ソウルトレイン」でディスコダンスが
ブレイクして以降ディスコソングが席捲しました。
そのブームに乗ってこの「運命’76」はベートーヴェンの「交響曲第5番」
いわゆる「運命」をディスコバージョンにアレンジして大ヒットしたもの。
この曲は76年時のチャートとしてはトップ40ランキングが驚異の22週、
対して「心のラブソング」はトップ40ランクインはたかが15週です。
尤も「運命’76」は1位獲得が1週に過ぎなかったのに対し「心の・・」
は5週連続1位なので貫録勝ちです。
(しかし翌77年のロッド・スチュワート「Tonight's The Night(邦題:今夜
決めよう)」は7週連続1位*それでも年間チャートは第2位、そしてその
翌年のデビー・ブーン(=パットブーンのお嬢さん)「You Light Up My Life
(邦題:恋するデビー)」は何と10週連続1位と次々とモンスターヒット曲が
誕生するのでありました)
ラジ関で放送されていた76年年間ヒットチャート録音テープ冒頭部分です。
湯川れい子さんの歯切れのいい解説に引き込まれたものでした。
40年前の録音でもこうして聴くことが出来るのは喜ばしいことなのですが
難点は「ラジオ関東」は送信所が神奈川県にしかないため電波の状況が非常に
悪く雑音だらけの音質であることと、放送時間と曲紹介の限界で殆どの曲は
途中でカットされていることです。
* * * * * *
ところがそのように致命的な難点を解消してくれる音源をユーチューブで発見
したということで、冒頭の続きにここでようやくたどり着きます。
アップされたのはアメリカ人のようですね。
アップロードされた日もまだそれほど経ってないようなのでワタシにとっては
奇跡の邂逅と言えます!
ということでで本日の本題<ビルボード76年間ヒットチャートとの邂逅>
ユーチューブです。
5時間以上のバージョンですのでよほどマニアな方でなければ全て聴くことは
ムリですよね。
因みにこのシリーズ72年から毎年分がアップされているのですが、この76年
のみが収録時間から推察して完全収録のようですので取り上げました。
蛇足ですがワタシが個人的に70年代の年間ヒットチャートをランキングする
ならダントツ73年です。
長崎の歌姫~上奥まいこさんライブat.diglight/高田馬場 [音楽]
長崎の歌姫(と勝手にワタシが命名)<上奥まいこ>さんのライブを聴きに
高田馬場のライブスポットに行ってきました。
【ライブバー:diglight/高田馬場】
地元高田馬場にあるお店ですが1か月前までは縁もゆかりもありませんでした。
もちろん出演されている方々とも・・
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いきさつを解説します(関心のない方はどうぞスルーしてください)
前々回記事【軍艦島/長崎】で長崎へ行ったことを触れましたが、その日の晩は
ツアー歓迎会参加後に東京から参加したひとりの先輩と一緒に長崎在住の先輩に
いきつけのデイープな酒場に連れて行ってもらいました。
店内奥にスタンドマイクがあものの、うなぎの寝床の如し細長の定員十数名で満席
となる狭くも熱気ムンムンのいわゆるカラオケスナック。
壁には三十数年の時が全く止まったかのように1970年当時ヒットしたポスター
が所狭しと貼られています。
お客さんが次々と上手な歌声を披露した後に真打として登場したのは地元長崎出身
のプロ歌手<上奥まいこ>さん。
普段は東京で活動されているとのことですが、この日は帰省しこちらでナマウタ
を披露してくれたわけです。
お客さんたちの歌声もかなりハイレベルでしたが、そこはやはりプロ・・ラベル
否レベルが段違いです。
ポップス系の洗練された曲を披露してくれたシンガー&ライターでご覧の通りの
美人さん。
お店のマスターやワタシの先輩がまいこさんを強力にサポートされていて、毎月
東京でライブをやっているので東京在住のワタシによかったら聴きに行ってちょうだい、
と応援を頼まれました。
喜んで・・と申し上げたい所ですが東京も広いのでちょっと遠いようならあいそ返事に
なってしまうかなぁと内心思いつつライブ場所を訊ねたら何と「高田馬場」って言う
じゃあないですか!ワタシの住んでるところです。
ならば聴きにいかない手はない・・とのことで行ってきました。
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<3月5日 ライブバー:diglight/高田馬場>
この日は<町田謙介>さん(ボーカル、ギター)<KAZU>さん(パーカッション)
とトリオでの演奏。(右がマチケンさんこと町田謙介さん・・ブルース系ヴォイス抜群)
長崎で一緒に聴きに行った先輩や自分の友達に声をかけ5名の徒党を組んでの参加。
3テーブルとカウンターというスペースのお店なので目の前での歌と演奏、ノリの
いい曲では振付の指導を出演者自ら行ってくれプレーヤーとオーディエンスが一体と
なって唄って踊って、熱狂の演奏が続きメチャクチャ楽しませてもらいました。
しかもこのお店、ワタシは初見参だったのでお値段について少しだけ警戒感を抱いて
臨んだのですが、全くの取り越し苦労だったのです。
料金システムは至ってリーズナブルでノーチャージ&キャッシュオンデリバリーの
明朗会計。
しかもライブ料金は「投げ銭チップ制」・・って自分で決めた金額を投げ銭箱に投入
するという、うーん考えようによって(キマエがイイ人、気が小さい人、ミエを張る人
にとって)は高くつくかも(笑)なのです。
演奏時間は二部構成で途中10分ほどの休憩が入り都合2時間。
20時半スタートだったので遠方に帰る方でも手頃な時間でのお開き。
いやあこの値段でこんなに楽しめてしかも徒歩で帰れるなんて(安・近・
楽=韻を踏んでない)病みつきになりそうです。
来月は14日開演とスケジュールが決定したので万難を排して聴きに来ます!
以上「犬も歩けば棒に当たる」をもじって「おやじも動けば楽しいライブに
出会う」でした。
ホーメイ(喉歌)ライブに行ってきました [音楽]
先日ホーメイ(喉歌)のライブを聴いてきました。
この動画は7月23日・新宿のライブハウス「ピットイン」にて行われたものですが、
私はこの翌日の「トッパンホール」(飯田橋)での公演を聴きに行ったのです。
ホーメイを披露するのは「フーンフールトゥ」というロシア連邦トゥバ共和国から
やってきた4人組のグループで、ホーメイ以外でも民族楽器を用いた演奏が大変
ふるっており聴きごたえがありました。
動画はリーダー格である<カイガルオール・ホバリグ氏>がソロでホーメイを披露
しているシーンで、また隣に映っているのはグループメンバーではなく、MCを務めた
巻上公一氏です。
巻上氏といえばテクノポップ(この用語をご存じな方は多分アラフィフのおじさん
です・・と思ったら最近「Perfume」でリバイバルヒットしているとのこと。
であれば「きゃりーぱみゅぱみゅ」の曲調などもまさにテクノポップですね)として
一世を風靡した「ヒカシュー」のリーダーであり、私はこの巻上氏と「ヒカシュー」
の30年来のファンなのです。
そしてテクノポップといえばイエローマジックオーケストラ(=Y.M.O)の代名詞とも
言える音楽のジャンルとして有名ですが、当時テクノポップを標榜して活躍した
アーチストたちもY.M.Oをはじめ程なくして雨散霧消してゆくなか、「ヒカシュー」
だけは何と今でも健在であり活動中なのです。
しかし巻上氏本人はテクノポップを演奏し続けてきただけではなく、90年代に
「フーンフールトゥ」が来日されたとき、ホーメイと出逢って以来その喉声に魅了され、
自身による研究を重ねホーメイアーチストとして進化を遂げられたのです。
さて、カイガルオール・ホバリグ氏ソロのホーメイですらご覧の通りかなりの迫力
ですが、4人で披露するホーメイの合唱は荘厳そのものです。
私にはなぜだか修行僧が唱えるお経の大合唱のように聞こえてきました。
異空間の世界のなかにも東洋人としてのDNAが反応するのか、なぜか郷愁のような
懐かしさを感じて、とても和やかなときを過ごすことができました。
なおこの「フーンフールトゥ」はこの日の翌日から始まったビッグイベント「フジ
ロックフェスティバル」に参加されたそうです。
こんなグループも参加される、「フジロックフェス・・」自分も来年は聴きに
行ってみようかな。
ポールマッカートニー来日公演 [音楽]
ポールマッカートニー 御年71歳
11年前に60歳で来日公演されたときは、青森に住んでいたこともあり
東京まで出てきて聴きにくることは叶わず、もう縁がないものと思っていました。
それがよもや70歳を超えて来日されるとは夢にも思いませんでした。
今回人からお誘いを受け、¥16,500は決して安くないチケット代ではありますが
聴きに行かなければ一生悔いが残ると思い、東京ドームへと出かけたのです。
19時開演で、私は18時ころ会場にたどり着いたのですが、既に満員電車なみの
混雑状態で特にグッズ売り場は長蛇の列で、あれだと並んでる間に演奏が始まって
しまうのではないかと他人事ながら心配してしまうほどでした。
さて本日はどんな曲を演奏してくれるのだろうか、と気になりウエブで大阪公演の
曲目を調べてみたら、信じられないことに38曲、2時間45分の演奏時間とのこと。
2年前にチック・コリア(ジャズピアニスト)のコンサートを聴きに行ったとき、彼もちょうど
70歳でしたが、若々しいルックスとファンタジーな演奏に正直驚きました。
しかし彼の場合ヴォーカルは無く、しかもリターン・トゥ・フォーエヴァーというグループ
としての演奏でしたし、時間もちょうど2時間くらいでした。
なので71歳でいてソロで歌いっぱなし、しかも3時間近くライブを行うというのは
信じがたいことです。(実際、そんなに長く演るとは思っていないので前橋まで帰る
終電に間に合うか心配になっていまいました(笑))
と期待に胸を膨らませつつ待つこと20分、赤いロングジャケットに身を包んだ若々しい
もとい、若いポールが颯爽と登場し、オープニング曲は初期のビートルズ時代のヒット曲
「エイト・デイズ・ア・ウイーク」でスタートです。
次の曲ウイングズ時代の「ジュニアズ・ファーム」に入る時には既にジャケットを脱ぎ捨て
白いシャツ姿で情熱的にギターを奏でます。
その姿はどこをどう見ても71歳の(世間で言うところの)老人には見えません。
その後はギターからピアノにと楽器を替えて、曲調も動から静へと変化を楽しませて
もらえる順番で演奏が続きます。
ピアノのときは座ってしんみりと演奏されますが、再びギターに戻るとエネルギッシュに
舞台を動き回ります。(くどいですがホントに71歳?)
また今は亡きビートルズ時代の僚友ジョージ・ハリスンの名曲「サムシング」をウクレレ
一本で演奏しながら歌われたのは意外で、胸を打たれました。
そしてビートルズナンバーとして不朽の名曲「レットイットビー」が披露されると、
私の興奮も最高潮に達します。
というのも自分にとってビートルズとして解散前にリアルタイムで聴けた唯一の曲が
この「レットイットビー」であり、それがレコード(死語)でなく生歌で聴けたからです。
いよいよクライマックスは最大のヒット曲で締めか、と思いきや意外にも、ウイングス時代の
サントラ盤ヒット「死ぬのは奴らだ」です。
しかしこれには仕掛けがありました。
イントロ部分で迫力に満ちた爆音のような演奏があるのですが、それに合わせて本当の
爆音とともに舞台から炎が上がったので度肝を抜かれてしまいました。
演奏以上の迫力で意外な演出にやられました。
そして締めは最近矢沢のえーちゃんがCMで演じているので、若者にもよく知られて
いる「ヘイ・ジュード」です。
最後のコーラス部分は会場と一体となって繰り返し歌ったので大盛り上がりです。
とここまでで既に2時間を超えていましたが、ここから驚異の2回アンコールで9曲を
こなしてくれたのです。
最後の最後は名盤アビイロードに収められているメドレー「ゴールデン・スランバー~
キャリー・ザット・ウエイト~ジ・エンド」でホントのホントに”THE・END”となりました。
また最後の曲に入る前のポールのしゃべりにも感心。
「今日はもう遅いから眠いだろ、家にお帰り」と話して、ゴールデン・スランバーの歌詞
Once there was a home To getback home. sleep~
まさに夢のような2時間45分でした。
因みに終電には新幹線を使って何とか間に合いました。(始発がアタマをよぎりましたが
乗ることができ、ほっと一安心)